機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

韓松インタビュー(聞き手:エリック・J・ガードナー)

中国SF四天王の一人、韓松(Han Song)のインタビューを勝手に翻訳した。

底本は韓松初の英訳短編集 A Primer to Han Song、聞き手は Eric J. Guignard。短篇集についてのレビューは以前書いたのでそちらを参照。面白いのでぜひ買って読んでください。

hanfpen.hatenablog.com

 

 

 

IN CONVERSATION WITH HAN SONG
韓松との対話


エリック・J・ガードナー(以下エリック) こんにちは、ハンさん。あなたとお話できてうれしいです。このプロジェクトに参加していただき、本当にありがとうございます! 「サムサラの輪」The Wheel of Samsara は、わたしがはじめて読んだあなたの作品で、今でもお気に入りの一つです。結末には、散文的な美しさと、明かされる展開の恐ろしさ、そして新たな始まりという意味での希望が込められていますね。この物語は多くの点で、つまり異文化や信念体系の衝突という点で象徴的だと思います。この物語では勢力は拮抗していても、それらは共に新しい時代を切り開いていく。その発端の物語を示唆していると思えたのです。いや、わたしの深読みでしょうか? この物語は、教訓的なものなのか、希望を示すものなのか、それともまた何か別のメッセージを込めて書かれたものなのでしょうか?

韓松 あなたの読みは正しいです。この物語は、わたしのチベットでの体験に基づいたものです。しかし、チベットについてというよりも、信仰や国籍、世代間での対立を、人々の存在のジレンマ、世界の真実、宇宙の神秘について描きました。

エリック 「わたしの国は夢を見ない」 My Country Does Not Dream は、本書のためにナサニエルアイザックソン氏が英訳したものです。このディストピア的な物語では、薬漬けにされた国民が「眠ったまま」夜間の二交代勤務を行い、国のGDP目標を達成するために好景気をもたらします。政治的陰謀、ミステリー、アクションが盛り込まれた、スリリングで寒々とした物語です。シャオ・ジは、優柔不断で傷つきやすいキャラクターに当初は思えますが、妻を救い出し、国家暗黒委員会から逃亡するという闘士に変貌していきます。しかし最後には、個人の自由を願いながらも、より強い国家になるためには何が何でも前進しなければならないという政府の高官と同じ国家主義的な考えを持つに至るように読めます。
 これについて、すこしお話を聞かせてください。この物語は、「急速な発展に対する風刺」として扱われるべきなのか、それとも、より大きな全体(=社会)の義務に服従せざるを得ない個人の話なのか。あるいは、「自分にはどんな選択も制御もできると思っていても、政府やその他の社会的な力によって操られることがある」という考えに沿ったものなのか……それともまた別の何かなのでしょうか?

韓松 この話は、中国がWTO世界貿易機関)に加盟して経済が急成長しはじめた二〇〇二年に書いたものです。他の多くの中国人と同じように、わたしも誇りと恐怖の両方を感じていました。その復活劇は、何か貴重なものを犠牲にすることにつながるのではないかと思ったのです。国家が目標を達成するためには、何らかの奇妙で恐ろしい方法を使うかもしれない。文化大革命が再び起こるのではないか? と。わたしはただ、その時の自分の恐怖を書き留めただけです。

エリック あなたの母国語は中国語ですが、英語も話せるバイリンガルですよね。自分の小説が中国語から英語に翻訳されるに際して、どのような経験をされましたか? どんな言語間の翻訳でも、物語のトーンや雰囲気、象徴性、言葉の詩情、特定の文化的行為の強調などに違いが出るはずです。あなたの物語は、英語でも中国語と同じ印象を持って読まれるのでしょうか? それとも何か特定の箇所に欠落があるのでしょうか?
 また、あなたの作品は、他の多くの言語(フランス語、日本語、スペイン語、韓国語、イタリア語など)にも翻訳されています。あなたの作品が最も喜ばれているのはどの国の読者だと思われていますか?

韓松 ナサニエルアイザックソンとケン・リュウによる翻訳をいくつか読みましたよ。彼らはわたしの物語をとても効果的に表現してくれています。わたしが表現したいことを忠実に反映してくれています。文体は、わたしのものよりもずっと簡潔です。もし英語版を中国語に翻訳し直したら、もっといい小説になるかもしれないと思ったくらいです。でも、わたしは読者層については全然知らないですね。他の国でのわたしの作品に対する読者の反応はほとんど知らないです。

エリック もし世界中の人にあなたの作品を一つだけ読んでもらえるとしたら、どの作品にしますか?

韓松 うーん。場所によって読者が違うので、それ次第ですね。

エリック  二〇一九年の「ロサンゼルス・レビュー・オブ・ブックス: チャイナ・チャンネル」 Los Angeles Review of Books: China Channel では、中国SFの状況について議論が行われ、現代中国SFの「三大将軍」を劉慈欣、王晋康、そしてあなただとしました。このジャンルの作品で、読者に探して読むことを勧めたいのは、他にどなたがいらっしゃいますか?
 また、あなた自身の小説執筆にインスピレーションを与えた(過去でも現在でも)のは誰ですか?

韓松 陳秋帆を推したいですね。彼の小説『荒潮』は英語で出版されていますし。陳は一九八〇年代生まれの若い世代の代表格です。彼はさまざまな角度から近未来の中国のディストピア社会を描いています。
 多くの作家に影響されてきましたね。ジョーゼフ・ヘラーやカート・ヴォネガットなど。

エリック あなたの文章は、ナショナリズムや自主性、個人のアイデンティティ、環境、急速な近代化とテクノロジーなど、政治的な問題において社会的な意識を持ち、進歩的です。ここアメリカでは、他国の政治情勢やイデオロギーを取り除いたものしか耳にしないことが多く、他地域や異なる政府・法律の下で書くことの難しさ(あるいは利点)を感じないことが多いのですが、中国の政治情勢は、この二〇年間、あなたの執筆活動にどのような影響を与えましたか?

韓松 中国の政治体制は独特で、想像を絶するものがあります。政治は人々の生活を決定し、その影響はあらゆるところに及んでいます。科学技術でさえも政治の産物です。作家はこのような困難で興味深い状況に直面し、それがどのように未来を開拓していくかを予測し、明白にしなければなりません。この点では、SFを書くというのはおそらく良い選択なのでしょう。

エリック 書くものについて、もっとも言われて嬉しい言葉は?

韓松 奇想天外、不条理、痛々しい……かなあ。

エリック あなたはSF作家であると同時に、新華社通信の記者としても活躍していますね。ジャーナリストとしての仕事、そして重慶での生活について、あなたは「SFの世界に住んでいるようだ」と述べています。そこからインスピレーションを得て文章を書くのですか? それとも、想像力や他の分野への関心や技術によるのでしょうか?
 また、もしSFが、明日は今日とは違うかもしれないと夢想しているのなら、これから起こりうる最大のイノベーションは何だと思われますか?

韓松 中国の現実はいつもSF以上だと思いますし、作家は日常生活から簡単にストーリーを見つけることができます。優れたSF作家は、ジャーナリストがするのと同じように、この国で毎分起こっていることを正確に記録しなければならないのです。現実の世界と架空の世界の境界を曖昧にし、読者が自分の安全を確保するために、実際に起こっていることを知らないふりをすることができるような想像力さえあればいいのです。
 神経科学、遺伝子編集、ナノテク、人工知能などを組み合わせて、人々の心を統一し、政権の支配を強固にするようなものが、未来の最大のイノベーションになるのかもしれません。

エリック 他の惑星で生命が発見されるのはいつ頃になると思いますか? わたしたちはその発見を喜んで受け入れるのでしょうか、それともその出会いを後悔するのでしょうか?

韓松 ははは。わたしはかつて一九九〇年代に中国UFO研究会のメンバーだったんですよ。昔は、人類はもう異星生命体に遭遇しているけれど、ほとんどの人類には知られないままなのだと思っていました。われわれは実験室のネズミのように、宇宙人に観察されているのだとね。でも、今はそう思っていません。いずれにせよ、正式な遭遇は五十年以内には起こるだろうと予想しています。しかし、他の惑星に存在する微生物などの生命体については、もしかしたら太陽系内ですぐに見つかるかもしれませんね。

エリック 韓松さんの作家としてのキャリアは、今後どうなっていくのでしょうか?

韓松 まだ分かりませんね。

(二〇二〇年二月一〇日)

 

 

「楽園」を追い求める二人の至る道と歴史――マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』

 

 

 

 この世で一番小説が上手いんじゃないか。バルガス=リョサの作品を読むたびに、そう思わされてしまう。とんでもない馬力と、繊細な詩情と、それを表現する筆力がひとりの人間に宿っている奇跡じみた存在——それがバルガス=リョサなのだ。

 池澤版・世界文学全集に収録された本作でも、その力は遺憾なく発揮されている。物語は二人の人物の行動が、章ごとに切り替わって順々に描かれていく。ひとりは高名な画家ポール・ゴーギャン。そしてもうひとりは、十九世紀初頭に活躍した女性解放運動と労働組合活動の指導者、フローラ・トリスタン。一見関係がないように見え、描かれる時代も異なるこの二者だが、なぜこのふたりではならなかったのかが、本書を読むにつれて浮かび上がってくる。

 まず第一に、二人は題にある通り、「楽園」の追求者であったことだ。結婚、離婚を経て、夫からの追跡を逃れるために各地を転々とするフローラ。彼女はそのなかで、結婚という既成制度は女性を男性の奴隷に留めおくためのものにすぎないと悟り、各種の社会活動へと没頭していく。一方ゴーギャンは、芸術活動への行き詰まりからタヒチを訪れ、西欧社会という無意識的に組み込まれた既成概念の外へ、真の芸術を追い求めていく。両者に共通するのは、いま・ここにある現状を良しとせず、解放された土地を追い求める精神性である。とりわけ重要なのが性の概念だ。フローラは自身の屈辱的なエピソードから、男尊女卑的な価値観からの社会の解放を願う。そしてゴーギャンは、凝り固まった西洋の性規範——一夫一妻制、異性愛——にとらわれない、自由なタヒチでの経験をもとに、自身の芸術を追い求めていく。本作の中でも、タヒチゴーギャンが現地の少年(といっても性の区別がなされていないような文化的背景はあるのだが)との交流を経て、自らの中の「女性性」を発見していく描写は本作の中でも白眉である。

 そしてさらなる共通点は彼らにとってペルーが重要な土地であったことだ。フローラの活動家としてのきっかけは、ペルー人女性たちの自由さに触れたことであり、ゴーギャンタヒチへの憧憬は、幼少期のペルー滞在が大きいという。ペルー出身であるバルガス=リョサが彼らを描こうとした所以もその辺りであろう。

 そして最後に——これが最も重要なことかもしれないが——フローラとゴーギャンは、祖母と孫に当たる血縁関係にあたる。つまり本作は、西洋から逃れ、「楽園」を追い求め続けた血族の、生から死を綴った戦いの記録でもあるのだ。それは同時に、彼らを代表とした、その他大勢の世界を変えてきた人々の戦いの歴史の隠喩でもある。二人を視点に据え、一九世紀から現代に至るまでの西洋の価値観の転覆を語る、バルガス=リョサ流の全体小説になっているのである。大量の歴史的事実や込められた豊富な隠喩を携えながらも、それを感じさせない読み心地を味わえるのは、やはりバルガス=リョサの巧みな語り口に拠るところが大きい。密に寄り添いながら、時に「おまえ」とフローラとゴーギャンに呼びかけてみせる自由な三人称は、過去作の『緑の家』『都会と犬ども』のようなセリフをまたいで場面も視点人物も切り替えてみせるほどの前衛的で超絶技巧な手法ほどではないにせよ、その語りの巧みさを味わうには十分なものである。ぜひ一読を勧めたい。 

春に上京した人に送る東京古本屋ガイド

 上京して3年目になる。

 不案内な土地を知るには足で稼ぐのが一番と思い、休日には降りたことのない駅で降りる事が多かった。そこでよく目的地に設定したのが古本屋だ。

 東京にはたくさんの古本屋がある。有名な神保町の古本屋街をはじめ、中央線沿線など一駅に複数の古本屋が密集する土地も珍しくない。

 そこで今回は、この2年間で実際に訪ねてみて、これから上京する人に向けておすすめしたい古本屋をまとめてみることにした。参考になれば幸いである。

 

前提条件:書き手がよく買う本のジャンル……SF、海外文学、あとちょっと現代詩、精神医学系の本

 

古書ワタナベ(中野)

www.kosho.or.jp

 中野ブロードウェイ内にある宝の洞窟的古本屋。なぜかというと、開店している時間帯が読めないから。基本的にやってない。ただし、運良く開店しているところに出くわせると、破格の値段で海外SFや海外文学の本が手に入る。店主はいつも狭い店内の奥でマイペースに読書をしており、買いたい本を持っていくといつも「え?」みたいな反応をする。本当に本を売っているのか? と不安になるが、ちゃんと買える。

 古書ワタナベには一応「必勝法」もあるのだが、これはお楽しみということでナイショにしておく。ぜひ一度「チャレンジ」してみることをおすすめする。

 

品揃え ☆☆☆☆☆

値付け ☆☆☆☆☆

 

古書ワルツ(荻窪

twitter.com

 

 荻窪古書店と言ったらやはりこの古書ワルツ。海外文学や哲学書など豊富な品ぞろえを誇り、店頭の均一棚にも掘り出し物多数。

 ちなみに、あんまり大きな声では言いにくいのだが、店員にすごいギャルのお姉さんがいる。店の雰囲気からするとすごい浮いているのだが、めちゃくちゃ仕事がデキる感じなので謎である。

 

品揃え ☆☆☆

値付け ☆☆☆☆

 

りんてん舎(三鷹

rintensha.com

 詩と海外文学が専門の古書店。値付けよし、品揃えよしの優良古書店。ちょっとだけ三鷹駅から歩くが、行く価値は十二分にあり。

 ちなみに、塚本邦雄『水葬物語』旧三島由紀夫蔵書(150万円!)を所蔵していたりもする。

parakeets.hatenablog.com

 

 なお、わたしは数回ここの書店に本を買い取ってもらったことがあるが、その際の対応&値付けも大変親切だった。おすすめ。

 

品揃え ☆☆☆☆

値付け ☆☆☆☆

 

水中書店(三鷹

twitter.com

 

 三鷹の2大古書店の1つ。ここも詩歌や海外文学に強い古本屋。その他映画関係の本や社会学系の本も充実。謎に精神医学系の本が入荷していることが多く、助かっている。原書も結構ある。漫画も扱っているが、それの趣味もかなりよい。

 三鷹に行くときは、上のりんてん舎と水中書店に寄り、駅舎内の豆狸でわさびいなりを買うのがお決まりのルートである。

tabelog.com

 

品揃え ☆☆☆☆

値付け ☆☆☆☆

 

バサラブックス(吉祥寺)

twitter.com

 サブカル系の漫画や小説が多いイメージだが、海外文学も充実している。

 均一棚がバスがきわきわまで通る道と接しているので、物色しているとあやうく轢かれそうでこわい(バサラブックスあるある)。

 

品揃え ☆☆☆

値付け ☆☆☆☆

 

クラリスブックス(下北沢)

clarisbooks.com

 下北沢の古本屋。通販もやっている。安い本はめちゃくちゃ安い。高い本はそれなりに。

 

品揃え ☆☆☆

値付け ☆☆☆

 

@ワンダー(神保町)

twitter.com

 SF専門古書店。さすが専門という品揃えだが、値付けはちょっと高め……というか相場通り。買うのはどうしても手に入らない本か、古本まつりで半額セールになっているときだけかも。とはいえSFファンは一度は訪れるべき店。

 

品揃え ☆☆☆☆☆

値付け ☆☆

 

羊頭書房(神保町)

youtou-shobo.com

 こちらも神保町のSF専門古書店。こちらは@ワンダーよりも店は狭いが、その分密度が濃いイメージ。値付けも良心的。

 

品揃え ☆☆☆☆

値付け ☆☆☆☆

 

古書ドリス(鶯谷

www.kosyo-doris.com

 

 幻想文学系に強い専門古書店。品揃えは都内最強級だが、値付けはきびしい。とはいえここでしか手に入らない本があるのも確か。行くときは目当ての本を決め、その相場をリサーチした上で行くと吉。

 

品揃え ☆☆☆☆☆

値付け ☆

 

古書ソオダ水(早稲田)

kosho-soda-sui.com

 早稲田古書店街からも一店紹介。海外文学や日本文学がそこそこある。小笠原鳥類の同人誌が売っていたのが印象的。

 

品揃え ☆☆

値付け ☆☆☆

 

盛林堂書店(西荻窪

twitter.com

 

 ミステリに強く、自社で同人誌レーベルも持っている書店。実はSFや海外文学にも強い。店頭の均一棚も激アツ。

 

品揃え ☆☆☆☆

値付け ☆☆☆☆

 

 

大体この辺りを巡っておけば間違いはないかと。それでは楽しい古本ライフを〜!

〈SFマガジン〉2019年2月号〈百合特集〉 「百合SFガイド2018」掲載の書評より再録

SFマガジンの1回目の百合特集に書いた書評より。『四人制姉妹百合物帳』は剃毛百合の傑作ですよ。登場人物のひとりがバルガス=リョサ『都会と犬ども』読んでるし。

 

 

 

***

 

つくみず『少女終末旅行

 全てが終わってしまった文明崩壊後の世界。いつ世界は終わってしまったのか、そんなことさえ誰も疑問に思わなくなった世界で二人の少女・チトとユーリは愛車・ケッテンクラートに乗って旅をする。日々の食料にも事欠く明日の見えない暮らしの中、二人は遺された文明の痕跡を見つけながら、廃墟と化した都市を彷徨い、ひたすら上層へと進んでいく。
 本作で描かれる二人の関係性は、究極的に完結した形である。滅びゆく世界で生き続けなければならない宿命を背負った二人には、運命共同体として旅をする以外の選択肢が存在しない。チトの頭脳とユーリの力、これら二つが同時にあることで、やっと二人は終わった世界で終わらずに済む。すなわち、どちらの一方を欠いたとしても旅(=人生)を遂行することはできない共依存的な関係が二人を結び付けているのだ。その閉じた関係性は、最期を迎えつつある作品内の終末世界と相似形を描き、途方もない寂寥感としてページから溢れ出す。この終末SF的な世界でしか描き得ない関係性が本作にはある。

 

 

 

石川博品『四人制姉妹百合物帳』

 お嬢様学校・閖村【ルビ:ゆりむら】学園高校には"サロン"と呼ばれる友愛組織が存在し、そこに集う生徒達は姉妹のように睦み合う。本作はサロン「百合種【ルビ:ユリシーズ】」に集った四人の少女の群像劇だ。
細雪』と『半七捕物帳』にオマージュを捧げ、気品ある文体で可憐な少女達を描く本作だが、その中軸に据えられるのは何と剃毛。剃毛——カミソリで下の毛を剃るあの行為のことだ。少女達は賭け剃毛や革命集団「無毛【ルビ:モーマオ】」の設立など、可憐とは程遠い狂騒の日々を過ごす。だが当然、剃毛はギミックに過ぎない。かりそめの四人姉妹の解体と箱庭からの巣立ち、そして少女間の淡い恋愛感情が上品な筆致で描き出される中で、読者は剃毛という行為が示す二重三重の意味に気付かされる。
 ライトノベル界の異才・石川博品の真骨頂とも言える作品であり、同作者の女装男子ハーレム百合野球小説『後宮楽園球場 ハレムリーグベースボール』も必読。

 

 

 

矢部嵩『魔女の子供はやってこない』

 ある日奇妙なステッキを拾った縁で魔女のぬりえと友達になった小学生の夏子。一人前の魔女になる修行中であるぬりえは、夏子と共に魔法で人の願いを叶えていく。短編連作の形で一篇ごとに依頼人を変え、世に潜む悪意や狂気をメルヘンチックに描く不条理ホラー/サスペンス。アクロバティックな口語的文体が作品世界の不条理を増幅させ、キュートとグロの緩急が読者の心を常に揺さぶる。 
 百合として注目なのは後半以降。最終話でぬりえは魔女の国に帰ることとなり、夏子は大切な友人を失う。人生を空虚に過ごしつつ、魔女の帰還を待ち望む夏子。子も夫も死に自らも死の淵に立つ頃、やっと魔女はやってくる。これまでの人生は誇れるものではなかったかもしれない、しかしそれを自ら選び取ること(=魔女と出会うこと)が正解なのだと、夏子は最期に確信する。あまりにも美しい決断が涙を誘う傑作。

 

 

地に足のついた哲学的日常SF――つばな『第七女子会彷徨』

 

 

 

 誰が言った言葉だったかは今思い出せないのだが、SFとは目的であるというより手段だという。確かに、普段隠れてしまっている身の回りの物事や法則を未来的なガジェット等を通して浮かび上がらせることがSFにはできる。その手段としてのSFを巧みに用いているのが本作『第七女子会彷徨』だ。

 舞台は近未来の日本。そこでは高校入学と同時に三年間ペアとなる相手が組み与えられ、その相手との親密さが「友達」という科目の成績として進学などに重視されている。この「友達選定システム」によって友達番号七番としてペアになった二人の女子高生、金やんと高木さんが本作の主人公である。

 本作で描かれる日常は実に足のついたものだ。だが、そんな日常に幾多もの非日常的ガジェットが導入され、物語はSF、ファンタジー、ホラー、etcと様々なバリエーションを見せる。

 そのひとつが「デジタル天国」。本作では、心のデータ抽出によって死後インターネット内に存在する「天国」で再生することが可能になっている。その他にも冷凍睡眠や未来人、異次元から生じた怪物などが多数登場し、いまわれわれの日常に存在するものの不安定さを露わにしていく。

 たとえば、「デジタル天国」によって再生させられたあるクラスメイトは、校内では「超空間プロジェクター」によって電脳空間内のデータが現実空間に投影され、ふつうの女子高生としての日常を過ごしている。直接触ることのできない彼女はまさしく「幽霊」なのだが、彼女が平然と授業を受けたり昼ごはんを食べたり、あるいは友達から「一周忌おめでとー!」と祝われている様子からは生と死の境目がなくなり、地続きの空間として存在しているように思える。

 また「友達選定システム」によって、ふだん共に過ごしている「友達」というものの不可思議さが明らかにされる。いつもはエキセントリックだが、幼少期から引っ越しを繰り返し「嘘友達」ではなく「本当の友達」を希求し続ける高木さんの孤独が、本作ではたびたびクローズアップされている。

 このように、女子高生二人の日常を描きながらも存在や認識の根底を問いかける哲学的なテーマを展開する本作は、日常の中にSF的ガジェット(=非日常)を導入することで、我々が普段目に止めないいろいろなものの境目——生と死、友達と赤の他人、など——を曖昧にすることで、その不可思議さを露呈させる。

 そして最終巻では、これまでの伏線を見事に回収し切り、あらゆるものに決着を付けた。曖昧なままだった生と死、友達と赤の他人、そして高校生という子どもと大人の中間地点、一種のモラトリアムとしての身分もすべて。GWを丸々潰して『少女革命ウテナ』を見終わった時以来の感銘をわたしは最終巻から受けた。ぜひさらなる評価がなされて欲しい作品である。

 

 

上の同人誌に再録されてます。

これまでの海外文学全レビューをふりかえる

この記事は、藤ふくろうさんが主催している「海外文学 Advent Calendar 2022」12月11日のエントリーです。

adventar.org

 

 先日、Twitterで「次は池澤夏樹=編 世界文学全集全レビューをやるしかないなあ」と安易につぶやいたところ、またたく間に15人ほどのガイブン猛者たちに捕捉され、あっという間にレビュー担当リストが埋まってしまった。今回のアドベントカレンダーを主催している藤ふくろうさんにも参加希望をいただき、その流れで今回、アドベントカレンダーにも参加することになった。

 というわけで何を書くか、いろいろと悩んだのだけれど、そもそも自分が海外文学の全レビューに手を染めだしたきっかけや、これまでの全レビューで記憶に残った巻などを振り返っていこうと思う。

 

***

 

 そもそも、自分が学生時代に所属していた京大SF研やそのOB周りでは、叢書の全レビューをするという文化が何となく存在していた。〈ファンタジーノベル大賞全レビュー〉〈角川ホラー大賞全レビュー〉〈奇想コレクション全レビュー〉〈海外文学セレクション全レビュー〉……etc. 数多存在した過去の全レビューのバックナンバーを読む中で、自分でも、いつかやってみたいなあと思っていた。

 そんなとき出会ったのが、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』だった。当時「幻の傑作」とされ、絶版になった古書が高値で取引されていたなか、水声社ラテンアメリカ文学叢書〈フィクションのエルドラード〉内の一冊として復刊されたのだ。その虚構と現実が悪夢のように渾然一体となった物語を、一気呵成に読み終えたわたしは思った、「これ、叢書全部読んだらもっとおもしろいんちゃうか……?」と。

hanfpen.hatenablog.com

 

 全レビューの最大の利点は、普段だったらなかなか読まない本を読むモチベーションを得られることだと思っている。読書会でもそういったある種の強制力は得られるが、全レビューはまた格別なものがある。そういう意味では、全レビューは全冊一人でやるのが理想だ。叢書全てを読み終えた者にだけ見える地平というものは、幻想かもしれないが、やはりあるのではないかと思ってしまう。〈フィクションのエル・ドラード〉ではそのほか、ジョゼフ・コンラッドの実在の小説の成立を題材に、虚実を入り交ぜて歴史の重みを描いたフアン・ガブリエル・バスケス『コスタグアナ秘史』など、全レビューをしなければ手に取る機会を逸していたであろう名作に巡り会えた。

hanfpen.hatenablog.com

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 海外文学レビュー同人誌〈カモガワGブックス〉を立ち上げ、〈フィクションのエル・ドラード〉全レビューを敢行したわたしは、とどまることなく次の全レビューできそうな叢書探しに勤しんだ。〈フィクションのエル・ドラード〉ではかなり重量級の長編を多く読んだ反動もあり、次は短編かな……という気分になっていたこともあり、翻訳家にして名アンソロジストでもある柴田元幸氏が編んだアンソロジーを全レビューすることにした。

柴田元幸編アンソロジー全レビュー〉で記憶に残っているのは、やはり異様な打率を誇る『夜の姉妹団』だ。スティーヴン・ミルハウザーの美しい幻想短編である表題作にはじまり、ドナルド・バーセルミの文豪イジり短編、ジョン・クロウリーによる〈不倫〉〈猫〉〈肥料〉の三題噺短編など、どれをとってもその年の読書ベスト級になりうる短編が揃った素晴らしいアンソロジーだった。

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 芥川龍之介が英語教師時代に編んだというアンソロジーから、良作を選びぬいて再編集された『芥川龍之介英米怪異・幻想譚』も印象深い。現代を代表する名翻訳家オールスターと言っても全く過言ではない翻訳陣がずらりと揃っているのも壮観だし、選ばれている短編も今読んでも全く古びていない。

hanfpen.hatenablog.com

 

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 さて、ここまで海外文学を中心に全レビューをしてきたのだが、本来の自分の性分はSFである。そういうわけで、次やるならSF絡みの叢書がいいなあ……と思っていたところに舞い込んできたのが、国書刊行会から刊行されていた海外SF叢書〈未来の文学〉完結の知らせ。

未来の文学〉といえば、60年代〜70年代の「幻の傑作」(評判は極めて高いが、未訳のままだった作品たち)を続々と世にはなってきた、ゼロ年代以降の海外SFシーンを振り返る上で極めて重要な叢書である。最終巻である『海の鎖』は長年刊行が予定されながらもなかなか刊行に至らず、永遠に完結しないのでは……なんて予感すら漂っていたさなか、突如発表された刊行の知らせはまさに青天の霹靂であった。そして同時にかつてないほどの全レビューの好機でもあった。

 すかさずわたしは〈カモガワGブックス〉の次号を〈未来の文学〉特集にすることを決め、いそいそと全レビューの準備に取り掛かった。

未来の文学〉は学生時代から少しずつ読んでいたとはいえ、全レビューをする過程で再読することになり、多くの知見と感慨をふたたび得ることができた。特にジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』で描かれる「閉じた世界」の残酷さと暖かさは、今後読書をするたびに、折に触れて思い返してしまうだろう。

hanfpen.hatenablog.com

 そのほか、同人誌内の企画として世紀の奇書『ゴーレム100』における渡辺佐智江氏の超絶技巧翻訳を、原文と照らし合わせて確かめるという記事も書いたが、これは自分でやっていても大変おもしろかった。本当にすごいです。

hanfpen.hatenablog.com

 

***

 さて、手短にではあるが、これまでの全レビュー遍歴を振り返ってみた。

 繰り返しになるが、全レビューの良さは、ひとりでは決して読まないであろう本を読む強烈な外部推進力を自分で設けられるという点だ。これを読んだみなさんも、ぜひ何か叢書を全て読むということをおすすめしたい。完遂できなかったとしても、そうした観点から読書をしてみることで、何か得られるものもきっとあるはずだ。

 

 では次回〈池澤夏樹=編 世界文学全集全レビュー〉でお会いしましょう!

 

 

 

【告知】文学フリマ東京で新刊『カモガワ遊水池』出します

 流れに棹さすためには、水面に突き立てる棹がなくてはいけない。

 本書がその棹にならんことを、

 そしてカモガワの清き流れを絶やすことなく進んでいけるよう、願う次第である。

――『カモガワ遊水池』序文より

 

c.bunfree.net

11月20日開催の文学フリマにサークル「カモガワ編集室」で参加します。

発表自体はしていたものの、ネットの海に散り散りになっていた創作や書評、評論などを集成したものです。

かぐやSFコンテスト第1回&第2回選外佳作や、創元SF短編賞2次落選の短編小説が空舟氏のものと併せて合計8作載っています。

そのほか、今回初出しのジョン・スラデック未訳短編「未だ来ぬ地からの客人」も掲載。各短編や評論にちょこっとコメントも付けてます。あとは蟹味噌啜り太郎氏との現代川柳共作という変わり種もあります。

 

 

過去の『カモガワGブックス』バックナンバーも少部数ですが増刷したので、まだ入手されていない方はこの機会にぜひ。

 



なお、電子書籍版も11月20日に同時リリースされます。いちどKindle版を出してみたかったのでこの機会に便乗していろいろ作り方を勉強させてもらいました。スラデックの翻訳は権利的にNGなので(紙で出す分にはOK)電子書籍版には未収録ですが、その他はコメント含めまるまる載っております。

 

 

 

BOOTHにて通販も行いますので、当日来られない方はこちらもぜひ。

hanfpen.booth.pm

 

言い忘れかけていましたが、文フリ当日はアンナ・カヴァンの未訳長編から一部抜粋して翻訳したペーパーも持っていきます。何卒。