機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

芥川×現代英米翻訳家オールスターで送る、今なお通用する怪異譚集――『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』

芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚

芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚

  • 発売日: 2018/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 芥川龍之介が三十五年の生涯で残したものはあまりに多い。彼は古典文学を換骨奪胎し自らの作品として現代に蘇らせる器用さと、自らの精神状態の悪化をそのまま映し出した鬼気迫る短編に仕上げてみせる大胆さ・繊細さを兼ね備えていた。結局生涯で長編を残すことはなかった(完結しなかった)ものの、世に残した中短編は今なお読み継がれ続けている……。本書もそんな彼がこの世に残していったものの一つだ。

 芥川は「藪の中」「羅生門」などのいわゆる「王朝物」のイメージが強いため、日本・中国等の古典プロパーと思われがちだが、実際には東西を問わず種々の文学に造詣が深かったことで知られる。「藪の中」がアンブローズ・ビアス「月明かりの道」にインスパイアされて書かれた逸話は有名だ。また、元々英文学者を志していた身でもあり、実際に海軍機関学校で英語教師として勤めていたこともあるような人物。洋書の読書量は桁外れで、その読書スピードには数々の"伝説"(人と喋りながら膝の上で本をめくるだけで読めた、一日に千三百ページほどはゆうに読めた、借りた洋書を一晩で返すので疑った友人が内容について問うも難なくすらすら答えてみせた、など)が残されるほどだ。

 さて、そんな芥川が晩年(一九二四〜二五年)、後進のために英米の名短編をよりすぐったのが、本書の元となったThe Modern Series of English Literature 全八巻。これは旧制高校の学生向けに英語教科書の副読本として編まれた一種のアンソロジーで、各巻に"modern"の語が必ず入っていることからも分かる通り、芥川と同時代の英米文学ばかりを集めている。必ずしも当時評価が定まっていた作家だけでなく、当時、あるいは現代からしてもややマイナーな作家の作品まで収録されている辺り、彼の膨大なインプットとその鋭い目利きが窺える。本書はそのThe Modern Series of English Literature 全八巻の中から、澤西祐典・柴田元幸の両氏が選び抜き、新たに一巻に構成し直したアンソロジーである。つまり言ってみれば「アンソロジーのアンソロジー」な訳で、面白くならない訳がないのである。

 とはいえ百年以上前の作品ばかり、今でも通用するのか……? とお思いになったそこのあなた。甘い。甘すぎる。相手は天下の芥川龍之介、そして訳者陣は現代英米翻訳家オールスター。芥川の作品同様、古くてもよい作品は時代を隔てようがその価値を減ぜない、というある意味当然の事実を読者は思い知らされることになる。

 ブランダー・マシューズ「張りあう幽霊」は、ある貴族の家系に取り憑く二人の幽霊の物語。それぞれ貴族その人と貴族の持つ古屋敷に取り憑いている二人はどうにもこうにも馬が合わない――つまり、貴族が屋敷にいると、屋敷中でタンバリンやバンジョーがかき鳴らされ、罰当たりな悪口が辺りで聞こえ始めるのだ。結婚を期に何とか状況の打開を図りたい貴族は腹を決め、幽霊二人の直接対話の場を設けたが、その席で明らかになった驚愕の事実、そして解決策とは……? 「お前〇〇だったのか!?」系の話には枚挙に暇がないが、本作はその中でも別格。漫画にすればTwitterでバズりそうな予感。
 マックス・ビアボーム「A・V・レイダー」は大いなるほら話の魔力、といった趣向の短編。療養のために滞在していたホステルで、語り手はA・V・レイダーという男と出会う。手相占いを信じるか信じないか、という話を発端に、レイダーは自らが巻き込まれたという大事故の話を切り出し始める。レイダーが、自らの怠慢のために事故を未然に防げなかった、と語るのを聞き、語り手はレイダー宛に慰めの手紙を送る。だが一年後、その手紙は同じホステルの郵便受けの中で古びたまま放置されていた……。レイダーの語り口の巧さ、衝撃的事件の顛末、そして事件の真相がテンポよく終始テンポよく語られていく。

 そのほか、近代イギリス怪奇小説の大家アルジャーノン・ブラックウッドの初邦訳作品「スランバブル嬢と閉所恐怖症」は、列車の中に閉じ込められた夫人の強迫観念が執拗に描かれて恐ろしい。「これこそが閉ざされた場所への恐怖だ。/これが閉所恐怖症(閉所恐怖症に傍点)だ!

 ステイシー・オーモニア「ウィチ通りはどこにあった」はウィチ通りという実在の通りの所在を巡って起こった喧嘩がエスカレーションしていき、最終的に警官二名を含む死者八人、負傷者十五人を出す「アズテック通りの包囲」事件が勃発するまでに至る経緯を記した物語。些末な言い争いがどんどんヒートアップし大事件を引き起こすまでの過程はどうにもスラップスティック的で思わず笑いを禁じえない。

 レディ・グレゴリー「ショーニーン」は、顔がそっくりな王妃の息子と料理女の息子二人の話。料理女の息子であるショーニーンはある時王妃に宮殿を追い出され、その日から彼の冒険が始まった……。アイルランド文芸復興運動に携わった作者による、アイルランドに伝わる伝説を採集した本からの一編とのことだが、最後の悪の老婆との決闘の方法が「拳闘のグローブをはめてガチの殴り合い」であるところにアイルランド的奇想の底知れなさを感じた。各短編冒頭の扉に記されている澤西祐典氏の解説によると「こうしたアイルランド文芸復興運動によって現れた民族固有の伝説・奇話集が、芥川の興味を『今昔物語集』等の日本古来の説話集に向かわせ、「羅生門」に代表される王朝物が誕生したと考えられる」とあるが、このオチには日本の古典でもなかなか太刀打ちできないと思う。

 ボーナス・トラックとして収録された芥川自身の翻訳・創作も面白い。『アリス』を芥川が訳していたとは、と初めて知る方も多いのではないだろうか(もっとも、既訳を参考にした部分も割合多いと聞くが)。創作の「馬の脚」は、当時の中国大陸を舞台に、貿易会社の社員として務める男の下半身が、天国の事務方の手違いでうっかり馬のものと入れ替わってしまうという奇想天外な物語。日本ではあまり知られていない作品だが、フランスで出版された版芥川龍之介短編集では表題作となるなど、海外では芥川の新しい代表作としてみなされだしている一作とのこと。初期の歴史もの・後期の精神病みもの以外の、ユーモラスな芥川の一面を覗くことができる。

 さて、こうして編まれたアンソロジーを通して見えてくるのは(冒頭でも述べたことではあるが)芥川のアンソロジストとしての鋭い目利きだ。ワイルド、ディケンズ、スティーヴンソンなど定番どころを抑えつつしっかりと自分の好みを押し出す構成力や現代にも通用するラインナップなど、彼が長生きしてもっと色々なアンソロジーを編んでくれれば……という念に駆られる。そしてそのラインナップを見て思い出すのが、編者の澤西氏もあとがき内で触れているホルヘ・ルイス・ボルヘスによる世界文学短編アンソロジー《バベルの図書館》だ。ウェルズ、スティーヴンソン、ポー、ワイルドなど選出する作家に重なるところも多い。芥川が一八九二年生まれ、ボルヘスが一八九九年生まれと、ほぼ同世代の空気を吸っていた二人。芥川は若くして亡くなったが、ボルヘスは一九八〇年代まで生きた。彼はスペイン語版『歯車・河童』の序文で、芥川作品を高く評価していた。『聊斎志異』を愛したことも共通点だ。芥川が自死せず、ボルヘスの日本訪問の際、両者が手を取り合うような場面が見られたならば……と、思わず歴史のifに思いを馳せたくなった、そんな一冊だった。

 

 

オスカー・ワイルド「身勝手な巨人」〈『幸福な王子 ワイルド童話全集』(新潮文庫)、西村孝次訳など〉
ダンセイニ卿「追い剝ぎ」〈『夢見る人の物語』(河出文庫)、中村融訳など〉
レディ・グレゴリー「ショーニーン」
エドガー・アラン・ポー「天邪鬼」〈『ポオ小説全集4』(東京創元社)、中野好夫訳など〉
R・L・スティーヴンソン「マークハイム」〈『クリスマス13の戦慄』(新潮文庫)、池央耿訳など〉
アンブローズ・ビアス「月明かりの道」〈『アウルクリーク橋の出来事/豹の眼』(光文社古典新訳文庫)、小川高義訳など〉
M・R・ジェイムズ「秦皮(とねりこ)の木」〈『M・R・ジェイムズ傑作選』(創元推理文庫)、紀田順一郎訳〉
ブランダー・マシューズ「張りあう幽霊」
セント・ジョン・G・アーヴィン「劇評家たちあるいはアビー劇場の新作――新聞へのちょっとした教訓」
H・G・ウェルズ「林檎」〈『盗まれた細菌/初めての飛行機』(光文社古典新訳文庫)、南條竹則訳など〉
アーノルド・ベネット「不老不死の霊薬」
マックス・ビアボーム「A・V・レイダー」〈『『世界100物語 5』(河出書房新社)』、中田耕治訳〉
アルジャーノン・ブラックウッド「スランバブル嬢と閉所恐怖症」
ヴィンセント・オサリヴァン「隔たり」
フランシス・ギルクリスト・ウッド「白大隊」
ステイシー・オーモニア「ウィチ通りはどこにあった」
ベンジャミン・ローゼンブラット「大都会で」
E・M・グッドマン「残り一周」
ハリソン・ローズ「特別人員」
アクメッド・アブダラー「ささやかな忠義の行い」

芥川龍之介作品より
ウィリアム・バトラー・イェーツ「春の心臓」
ルイス・キャロル「アリス物語(抄)」
芥川龍之介「馬の脚」


※全て訳し下ろし
※澤西祐典・柴田元幸共編
※「天邪鬼」「張りあう幽霊」「隔たり」「ウィチ通りはどこにあった」は柴田元幸訳。「身勝手な巨人」「大都会で」が畔柳和代訳、「追い剝ぎ」「ショーニーン」が岸本佐知子訳、「マークハイム」「不老不死の霊薬」が藤井光訳、「月明かりの道」が澤西祐典訳、「秦皮の木」「特別人員」が西崎憲訳、「劇評家たちあるいは〜」が都甲幸治訳、「林檎」が大森望訳、「A・V・レイダー」「白大隊」が若島正訳、「スランバブル嬢と閉所恐怖症」が谷崎由依訳、「残り一周」「ささやかな忠義の行い」が森慎一郎訳
※「春の心臓」は芥川龍之介訳、「アリス物語(抄)」は芥川龍之介菊池寛共訳(ただし掲載は芥川が訳したと推測されている箇所のみ)