機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

音楽SFアンソロジーを編む [海外編]&[国内編]

大昔の京大SF研の会誌(『WORKBOOK107』、2016年)に書いたものをサルベージ。

SF大会で「SFとリリック」的な企画に出演するので、それも踏まえて。

 

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 音楽SFアンソロジーを編むといっても、「音楽SF」の定義がよく分からないままでは困る。

 SFマガジン01年12月号の音楽SF特集には、「ロック、クラシックから旋律や〝音〟そのものといったものが、物語のなかに登場する作品を〝音楽SF〟として扱っています」とあるので、この定義を採用して[国内編][海外編]で共に12作品ずつ選出することにする。

 その上で、「一作者一作品」かつ「なるべく高野史緒セレクトとは被らないように」という二つのルールを設けた。二つ目の「高野史緒セレクト」というのは、既に存在する高野史緒による音楽SF架空アンソロジーSFマガジン02年5月号 特集:アンソロジーを編む楽しみ)のことを指す。本当は「短編集の表題作になったものは外す」という縛りも加えようと思っていたのだが、そうすると事前の想定以上に対象作が外れてしまうので泣く泣く断念した次第である。 

 

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 まずは海外編から。妙にビッグネームが目に付くことになってしまったのだが、これでもハインラインとクラークを外した結果なのでどうしようもなかった。ごめんなさいとまず謝ってから先に進むことにしよう。

 

パオロ・バチガルピ「フルーテッド・ガールズ」SFマガジン09年2月号→ハヤカワ文庫SF『第六ポンプ』)

 巻頭作は、なるべく分かりやすく音楽SFで、かつまとまった作品を……ということで、結果的に一番新しい作品である本作を選んだ。

 人間や動物、あるいは植物まで生体を楽器にしてしまう「生体楽器ネタ」は多く存在するが、本作もそのひとつ。封建制度が復活した未来において、上流階級の婦人に何年もかけて身体改造と練習を課され、自らの身体を楽器に改造されてしまった姉妹——フルーテッド・ガールズ——の物語である。少女のまま成長を止められ、骨も変形させられ、挙句ポルノじみた演奏をさせられる少女の悲哀と死の残酷さが光る。共に官能に訴えるという点で、音楽とポルノの相似についても考えさせられる作品だ。

 

②J・G・バラード「音響清掃」(創元SF文庫『時の声』→東京創元社『J・G・バラード短編全集1』)

 バラードには音楽SF的な作品が多く、どれを取るのかで大層悩んだ。例えば、バラードのデビュー作で、歌う草花とオペラ歌手の物語「プリマ・ベラドンナ(創元SF文庫『時間都市』→ハヤカワ文庫SF『ヴァーミリオン・サンズ』→東京創元社『J・G・バラード短編全集1』)や、自ら振動しクラシック曲を奏でる音響彫刻が登場する「ヴィーナスはほほえむ」(ハヤカワ文庫SF『ヴァーミリオン・サンズ』→東京創元社『J・G・バラード短編全集1』)などは、いずれも音楽SFの範疇に含まれる短編だ。

 その中でも本作は、残響として残る音を回収する唖の清掃人と、超音波音楽時代においてかつての栄光を失ったオペラ歌手との物語。「ゴミ」として残った音を吸引するという超現実的な描写が面白い。京フェス2016でのバラード企画で大森望氏が語っていたように、初期のバラード短編にはアイディア勝負の奇想作品が多いが、本作もそのひとつと言えるのではないか。

 

ジャック・ヴァンス「音」国書刊行会未来の文学『奇跡なす者たち』)

 ある惑星に不時着した宇宙飛行士。どこからともなく聞こえる音楽に魅了されていくのだが、その音を出しているはずの原住民の姿は決して見えず、次第に見ている風景も幻覚なのか現実なのか分からなくなって……という幻想的な雰囲気の漂う作品。月が交替するたびに赤・青・緑と強烈な原色で染められる異星でのソラリスの海的存在とのファースト・コンタクトものとしても読める。

 ちなみに、ヴァンス自身ジャズの愛好家(初めて世に出たヴァンスの文章はジャズのレビュー記事だった)で、趣味としてコルネットウクレレ、カズー、ハーモニカなどを演奏するという。音楽SFを書く作家が自分でも楽器を演奏するかどうかというのは、ミステリ作家が人を殺したことがあるかということと同次元のほとんど無意味な問題だとは思うのだが、参考までに。

 

バリントン・J・ベイリー「大きな音」SFマガジン89年7月号→ハヤカワ文庫SF『ゴッド・ガン』)

 ここからは奇想三連発。

 宇宙一大きな音を出した時、世界はどうなってしまうのか? この問いに取り憑かれた演奏家が私財を投入し、大音響オーケストラを結成すると宇宙から返事が返ってきて……というベイリーらしい奇想に溢れた作品。11月刊行のベイリー短編集『ゴッド・ガン』に収録され、晴れてSFマガジンのバックナンバーを漁らずとも読めるようになった(評者は本レビュー執筆の締め切り上間に合わず漁る羽目になった)。

 タイトルが「音」→「大きな音」となるように配置してみたが、かたや幻想味あふれる短編、かたや奇想一発勝負とあまり関連性がないのが残念といえば残念である。

 

フィリップ・K・ディック「名曲永久保存法」 (ハヤカワ文庫SF『地図にない町』)

 音楽SF×奇想その二。

 音楽を永久に保存するには生存本能を導入して音楽を動物にしてしまえばいい! というトチ狂った発想の元、ある発明家が創り出した〈名曲保存器〉は楽譜を入れると動物になって出てくるという謎のブラックボックスであり、そうして「ブラームス虫」や「ワーグナー獣」、「ストラヴィンスキー鳥」などが森に放たれたのだが、彼らは野生化し、楽譜に戻しても美しい旋律は破壊されて支離滅裂な音楽だけが残ってしまったとさ、という自然の厳しさを描いた(?)寓話。[海外編]では唯一高野史緒セレクトと被ってしまったが、あまりのバカバカしさについ残してしまった。

 

イアン・ワトスン「ライフ・イン・ザ・グルーヴ」SFマガジン04年11月号)

 音楽SF×奇想その三。短編の性質上非常にレビューしにくいのだが、まさに音楽SF×奇想の極み。

 あらすじを書くだけでオチを察する方もおられると思うのでここでは割愛するが、音楽SFアンソロジーを本当に出版するのであれば(短編集未収録というのもあるし)是非収録されるべき作品だろう。ヒントとして、「長い谷が螺旋状に走る世界」の話であることは付け加えておこう。

 

コードウェイナー・スミス達磨大師の横笛」(ハヤカワ文庫SF『第81Q戦争』)

 スミスからは、〈人類補完機構〉シリーズ以外の短編からひとつ。

 原始インドの時代、一人の金細工師が魔法の笛を作り上げた。その音には的な効果があり、全ての音孔を塞いで吹くと、内なる聖性を呼び起こし聞くものを涅槃の心地へと導く。反対に、全ての音孔を開いて吹くと、心清き人には至福を、よこしまな人には罰をもたらす——つまり、性質に応じて善なるものは善が、悪なるものは悪が、それぞれ増幅されてしまう。笛は達磨大師、ドイツ人探検家、ヒトラー青年とさまざまな人の手に渡っていくのだが……と、民話的な香りの漂う掌編。

 

グレッグ・イーガン「新・口笛テスト」河出書房新社奇想コレクション、のち河出文庫『TAP』)

 ハードSF寄りの音楽SFをひとつ入れたかったのだが、見つかったのは結局イーガンで、はっきり言って芸がない。

 一度聞いたら絶対忘れない曲を計算で編み出す方法が発明された、という星新一を連想させるようなコマーシャルネタ。音楽の処理に関連する神経経路を特定云々とか、細かい脳科学的ディティールにこだわるところがイーガンらしい。

 クラーク「究極の旋律」(ハヤカワ文庫SF『白鹿亭奇譚』)も同様のテーマだが、小説としての出来はイーガンのほうが格段に上である。

 

シオドア・スタージョン「死ね、名演奏家、死ね」早川書房・異色作家短編集『一角獣・多角獣』→「マエストロを殺せ」に改題の上、河出書房新社奇想コレクション、のち河出文庫『輝く断片』)

 SFかと問われれば恐らくそうではないのだが、音楽絡みでSF作家の作品、と言われれば表題のキャッチーさも相まって、この作品が浮かぶ方も多いのではないだろうか。

 スタージョンには他にも、ジャズ絡みの「ぶわん・ばっ!」(ミステリマガジン01年1月号→河出書房新社奇想コレクション、のち河出文庫『不思議のひと触れ』)や、幻想的な掌編「音楽」晶文社ミステリ、のち河出文庫『海を失った男』)などがある。

 異色作家短編集『一角獣・多角獣』では小笠原豊樹訳だったが、奇想コレクション『輝く断片』に収録される際に柳下毅一郎訳となり、「マエストロを殺せ」という素っ気ない題に変わってしまった……という話が施川ユウキバーナード嬢曰く。』でネタにされていたが、本年の京フェスで聞くところによると、当の柳下氏もこの話はご存知のようである。

 

⑩ルイス・シャイナー「蒸気機関の時代」SFマガジン01年12月号) 

 本当はSFマガジンの同号に収録されていたG・ディヴィッド・ノードリィ「デモクリトゥスのヴァイオリン」 SFマガジン01年12月号)を入れたかったのだが、「デモクリトゥスの〜」は高野史緒セレクトに入っていることもありこちらを選んだ。

 電線や電報線がはりめぐらされはじめ、蒸気の時代が終わろうとしている十九世紀の米南部。主人公である黒人の若者は酒場でギターを弾き生計を立てていたが、まだブルースが白人に認知される以前の時代ゆえ、理解されず追い出されることを繰り返す。ところがそこに、風変わりな演奏をする老人が現れ……。未来への幻視とそこに及ばぬ時間というものへの無力感が切なさを呼ぶ掌編。

 シャイナーは他にも『グリンプス』というロック×SFという長編を書いており、それはこの後の音楽SF長編で他会員がレビューしているので、そちらでお読みください。

 

⑪オーソン・スコット・カード「無伴奏ソナタSFマガジン81年7月号→ハヤカワ文庫SF『無伴奏ソナタ』→ハヤカワ文庫SF『無伴奏ソナタ〔新訳版〕』)

 いよいよ本アンソロも佳境に近付きつつある、というわけで、絶対に外せない傑作をここで紹介する。クラシックと天才という「音楽SF」と聞けばまず連想するであろう二つのテーマを内包した、王道の音楽SFである。

 生まれながらに音楽家の天分を見出された主人公は、幼いうちに社会から完全に隔離され、他人が作った音楽——それがバッハであろうとモーツァルトであろうと——を聴くことを一切禁じられ、完全にオリジナルな音楽だけを作ることを宿命付けられていた。だがある日、彼はバッハのテープを聴いてしまう。そうするとやはり音楽にはバッハの影響が現れ、当局に知られてしまう。当局は彼に一切の音楽活動を禁じ、彼は肉体労働者として働くことになるのだが、音楽の才能を周りに隠すことは出来ず、再び音楽活動を始めてしまう。そうして二度目の違反を犯した彼は当局に指を切断され、一生ピアノの弾けない体になってしまうが、それでも彼は音楽を追い求め続ける……。

 完璧な音楽とは何か・挫折した天才・才能の一極集中とそれを奪われた者の末路、と魅力的な要素をこれでもかと盛り込みつつそれらをすべて消化しきった音楽SFの傑作と言えるだろう。

⑫ラングドン・ジョーンズ「音楽創造者」(ハヤカワ・SF・シリーズ『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』)

 海外編のラストには、本アンソロ中最もヘビーで、かつ「音楽」そのものに向き合った作品を。

 火星に演奏旅行に訪れたヴァイオリニストの主人公は、演奏自体は大盛況を収めるものの、大衆の音楽への無知さへ嘲りを隠そうとしない。一方で彼は、自分の音楽がいまだ完璧な音楽としての一線を越えられないことを不安に思っている。そうしてひとり火星の砂丘でヴァイオリンを弾いていると、「一線を越えた」完璧な音楽が聞こえてきて……。

 大衆と芸術の間に横たわる溝や底意地の悪さの表現もさることながら、音楽そのものに対する真剣な洞察を含め、音楽SFアンソロジーのトリを飾るのにふさわしい作品だ。

 

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続いて国内編へ。こちらは、どちらかといえば新しめの作品が多くなった。

 

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高野史緒ヴェネツィアの恋人」光文社文庫異形コレクション『アート』→河出書房新社ヴェネツィアの恋人』→ハヤカワ文庫JA・日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー『日本SF短篇50 Ⅴ』)

 巻頭作には、日本人作家で音楽SFと言えばこの人、高野史緒からひとつ選ぶことにした。

 冒頭で触れたSFマガジン02年5月号の高野史緒による音楽SF架空アンソロでは、自身の「ガスパリーニ」(ミステリマガジン96年4月号→河出書房新社ヴェネツィアの恋人』)を選出しているが、こちらは楽器とヴァイオリニストを巡るホラー色の強い短編なので、よりSF要素の強い「ヴェネツィアの恋人」を選んだ。こちらは音楽を巡って、時を超え、場所を変え、それでもすれ違いを続ける男女の物語で、作者らしい芸術への崇拝と献身というテーマが扱われた名作。

 

②上田早夕里「夢みる葦笛」光文社文庫異形コレクション『怪物團』→光文社『夢みる葦笛』)

 ある時から、街中にイソギンチャクに似た白い異形の生物・イソアが現れ始める。イソアの歌う音楽は人々の心から憎しみを取り除き癒す効果があるため、人々からは歓迎され、日に日にイソアの数は増していく。だがイソアは人間が怪物へと変化した姿だった。果たしてイソアがもたらすのは人類の調和か、それとも人間性の破壊なのか。

 異形コレクションの怪物テーマの巻が初出だけあって、怪物、それも歌う怪物をテーマにした一作。真の音楽を目指す人間は怪物により近い、という欲望の怪物性を静かに描くさまが印象的な作品だ。

 

③草上仁「ウンディ」(創元SF文庫・年刊日本SF傑作選『さよならの儀式』)

[海外編]のバチガルピやバラードに引き続いて、これまた架空の動物が楽器として使われる「生体楽器ネタ」なのだが、実際に演奏してバンドを組み、新人コンテストを勝ち抜いていくという青春小説的なストーリーを辿るあたりに、本作の独自性がある。

 猫を楽器として弾き鳴らす夢枕獏「ねこひきのオルオラネ」集英社文庫コバルト『ねこひきのオルオラネ』→集英社文庫『実験小説名作選』→ハヤカワ文庫JA『猫弾きのオルオラネ』)も同様の作だが、こちらはタイポグラフィを駆使した実験的な作品。

 

津原泰水テルミン嬢」SFマガジン10年4月号→河出書房新社、のち河出文庫『11 eleven』)

 こちらはぐんとハードSF寄りに近付いて、脳神経科学テーマの話。神経症の症状緩和のため、脳内に通称・ミジンコと呼ばれる極小の音楽デバイスが埋め込まれ、能動的な音楽治療が行われている主人公の女性。しかし、特定の人物が近付くと彼女の脳内で共鳴現象が起き、発作的にアリアを歌ってしまうのだった。果たして、何が彼女の脳内に働きかけているのか……。

 津原泰水の他作品と同様、本作もSFのみならずホラーやミステリといった様々なジャンルの要素を包摂しており、おやまたホラー落ちかな、と思わせておいて最後の1ページでぐっとSFとして落としてくる。そのあたりの技量も楽しめる一作だ。

 

筒井康隆「ナポレオン対チャイコフスキー世紀の決戦」学習研究社『ミュージックエコー』70年10月号→徳間書店『発作的作品群』→新潮社『筒井康隆全集10 家/脱走と追跡のサンバ』→新潮文庫『くたばれPTA』)

 筒井康隆から何を選ぶか、というのが[国内編]での最も悩みどころだった。

 候補作は、ジャズ×架空歴史で、映画化もされた「ジャズ大名小説新潮81年1月号→新潮社、のち新潮文庫『エロチック街道』→新潮社『筒井康隆全集23 虚人たち/エロチック街道』)、村に伝わる民謡をテーマにした不条理民話「熊の木本線」小説新潮74年1月号→新潮社、のち新潮文庫『おれに関する噂』→徳間書店『'73日本SFベスト集成』→新潮社『筒井康隆全集16 熊の木本線/男たちのかいた絵』→新潮文庫『懲戒の部屋—自選ホラー傑作集1』)、前衛×ジャズ×聖書パロディの問題作「バブリング創世記」(問題小説76年2月号→徳間書店、のち徳間文庫『バブリング創世記』→新潮社『筒井康隆全集17 七瀬ふたたび/メタモルフォセス群島』→徳間文庫『日本以外全部沈没—自選短篇集3〉パロディ篇』)、あるいは音楽専門誌『ミュージックエコー』掲載の、ナポレオンのロシア遠征チャイコフスキーの「一八一二年」(クライマックス付近の楽譜上に大砲 cannon の指定がある楽曲)を重ね合わせた戦争物「ナポレオン対チャイコフスキー世紀の決戦」の四つ。

 その中からひとつ選ぶのは至難の業だったが、音楽専門誌に載ったということを重視して「ナポレオン〜」を選んだ。タイトルからはふざけているようにしか感じられないが、実際は意外にもきちんと考証のなされた作品である。

 本当は「ジャズ大名」を選んで、ここから三作をジャズ→演歌→フリースタイルラップバトルと繋いで行きたかったのだが。

 

牧野修「演歌の黙示録」廣済堂文庫『SFバカ本ペンギン篇』→ハヤカワ文庫JA『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』)

 演歌×SF×オカルト。

「業界内では周知の事実だったが、演歌と神秘主義のかかわりは深かった」

 この一文だけで全ての説明が事足りてしまう。演歌史に神秘主義をぶちこみ、パロディまみれにして最後はクトゥルーまで組み込んでしまう世紀の怪作。「演歌とSF」という組み合わせが他に見当たらないのは本作を超えられないからではないのか、そう邪推してしまうほどの力に溢れた作品だ。

 

⑦皆月蒼葉「sky's the limit」(C90頒布・夏ノ廃道(皆月蒼葉と中野史子)『ユリリリックE.P.』)

『ユリリリックE.P.』裏表紙から引用。

「フリースタイルラップ meets 百合。それ以上の説明は必要ない! どう考えても出会いそうにない、どう考えても出会う必要のない両者が運悪く出合ってしまった時、音の物語は動き出す」

 第3回創元SF短編賞で大森望賞を受賞した皆月氏による、サイバーパンクSF×ヒップホップ短編。近未来の渋谷を舞台に、フリースタイルMCバトル〝〟に彗星の如く現れた少女・シエルと、過去を隠しつつ彼女を見守る女性・彩月の心の交流を描く。

 百合要素は当然のこととしても、舞台となるライブハウスゼンでの近未来テクノロジー描写はスタイリッシュで、扇智史「アトラクタの奏でる音楽」河出文庫『NOVA9』)に近いが、それよりも勝ると言ってよいだろう。ヒップホップとSFという新しい音楽SFの形を予見させる一作だ。

 コミケで頒布された同人誌という形式であるため一般流通はしていないが、とらのあなにて委託販売がなされているそうなので、まだ未入手の音楽SFファンはチェックすべし。

 

円城塔×やくしまるえつこ「星間文通」(書肆侃侃房『文学ムック たべるのがおそい vol.2』)

 円城塔×やくしまるえつこの共作が初めて世に出たのは京フェス2015の企画内で書き下ろされた「タンパク質みたいに」であった。正方形の枠中で文字が入り組み、分岐して、また戻る、という「朗読できないように」書かれた朗読原稿を、やくしまるえつこが「朗読」した音源は、現在CD化され販売されている。そちらも候補だったが、今回は二回目の共作となる「星間文通」を選んだ。

 千光年離れた先からきこえる千年前の放送とそれに呼応する返答が、二段組の構成で、時に入り組み、時に逆さまになりながらも、最後には円環構造をなしている。「タンパク質みたいに」も円城塔らしい技巧あふれる作品だったが、「星間文通」も負けず劣らずテクニカルであり、それでいて決して交わらない二者のメッセージはロマンチックだ。

 円城塔自身「星間文通」の共作に関して、「どうやって書いたかというとですね。どうしてできたのかわからん、というのが正直なところです」と述べている(二〇一六年一〇月一九日のツイート)通り、一見しただけではどこをどう共作したのかさっぱり分からない。が、その技巧は円城塔だし、その叙情はやくしまるえつこなのだろう。このコラボレーションが再び見られることを期待したい。

 

中井紀夫「山の上の交響楽」SFマガジン87年10月号→ハヤカワ文庫JA『山の上の交響楽』)

 全てを演奏するのに一万年を要する交響曲。そんなものが存在するというだけでも驚きだが、その曲を二十四時間三百六十五日、八交代制で延々と切れ目なく演奏し続けるオーケストラがあった。本作はその「山頂交響楽」を描いた作品である。

 とうぜん一筋縄ではいかない。「八百人楽章」と呼ばれる楽曲最大の難所では、八つの楽団全てが勢揃いして演奏しなくてはならないほか、他では使わない「八百人楽章」専用の楽器が必要であったりと、さまざまな困難が楽団を襲う。そうしたトラブルを解決していく、いわば「プロジェクトX」的な面白さが本作の魅力だろう。

 

山之口洋「最後のSETISSION」SFマガジン01年12月号)

 着陸した宇宙船は人類に音楽を演奏することを要求するが、その要求はエスカレートしていき、宇宙船の周りは延々と続く一大音楽セッションの場と化してしまう。だが彼らの真の目的は、かつて一八〇〇〇年前に別れた仲間——自意識を持つ「音楽」生命体——を探すことだった……。

 謎の天才オルガニストを巡るバロック・ミステリ『オルガニスト』で第10回ファンタジーノベル大賞を受賞した作者による、ファースト・コンタクトSF。自意識を持つ音楽というテーマがそもそも面白く、地球にある音楽のほとんどがその「死骸」に過ぎないというシニカルな設定が生きた一編。

 

飛浩隆「デュオ」SFマガジン92年10月号→神魂別冊『飛浩隆作品集3』→改稿の上、ハヤカワ文庫JA『象られた力』)

 音楽SFと言えばこれ、とばかりのインパクトを残した(実際、会内で音楽SFの話題を出すと大抵「デュオ」みたいな? という声が聞かれた)、二〇〇四年度「SFが読みたい!」国内篇第1位を獲得した『象られた力』の冒頭作で、飛浩隆の代表作である。天才と超能力と悪意と真の芸術への問いかけと……と音楽SF的な要素をてんこ盛りにした、まさに名作。語られ尽くしているだけに特に付け加えることはないが、話の類型が篠田節子ハルモニア』に似ていることに今気が付いた。

 

水見稜「ピナの生成と消滅」SFマガジン88年2月号)

 国内編のトリは、高野史緒でも飛浩隆でもなく、水見稜の単行本未収録作に飾ってもらう。

 音楽が意識を持つ生命体である、というテーマでは山之口洋「最後のSETISSION」と共通するが、本作はより端正に、音楽SFの中でも比類なき美しさを表現した作品だ。

 何と言っても、本作の主人公は音。ある時宇宙船から地球へとこぼれ落ちた音楽生命体・ピナは、地球上の様々なところへあらわれ、人々に音楽の美しさを感じさせては消えていく。古代ギリシアの作曲家、ローマ教皇、米南部の黒人……。ピナは地球上の音楽と同化して浸透していくが、一方で少しずつ力を失っていく。そして、最後は歌とともに薄れ消えていく。

 音楽の美しさ、そして儚さをこれほどまでに表現した作品に、ついぞ評者は出会えなかった。今からでも遅くはない、どこかのアンソロジーに収録して日の目を見させて欲しい。