機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

クリシェの破壊と創造、そして商業誌掲載ということ――ニコライの嫁『奇天烈ポルノ全集』

※本記事はR-18漫画についての記載があります。不快に思われる方もいらっしゃるでしょう。該当される方は、ブラウザバックをお願いいたします。

 

 

 

 

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 エロ漫画には文法がある。構図、構成、ページ数。お望みとあればクリシェと呼んでも構わない。特に男性向けのもの、しかも商業誌掲載のものであればなおのことだ。

 商業誌掲載の男性向けエロ漫画の特徴として、大半が短篇であることが挙げられる。無論連作もあるが、基本的には一話完結である。そして何より、一話完結である以上、限られたページ数でノルマ回収のように事は進んでいく。出会い、前戯、本番、〆……。おおむね20ページ前後の範囲のなかで、男女が出会っては体を重ね、そして終わる。人数が増えたり、年齢が前後したり、道具立てが(たとえば純愛モノだとかNTRだとか)違っていても、行われることは同じだ。本番なしの商業エロ漫画はほとんど存在しないといっていい。それが性欲を刺激することを第一義に置かれたポルノグラフィである以上、それはどうしようもない制約だ。

 だが、そんななかでも、その前提を破壊するような革新的な描写・設定を開発する作家が、ときたま現れる。そのうちのひとり、そしてエロ漫画史に名を残すであろう作家がニコライの嫁だ。今回紹介するのは、そんな作者による初単行本『奇天烈ポルノ全集』(ワニマガジン)である。

 彼の書くエロ漫画は、単行本のタイトルにもある通り〈奇天烈ポルノ〉という惹句が付けられている。だが、ニコライの嫁が主に活躍していた雑誌〈快楽天〉は、エロ漫画業界の少年ジャンプ、まさに王道というべき場所で、純愛モノのメッカというに等しい。そんな場所で〈奇天烈〉を冠される作品とは、果たしてどんなものなのか?

 ニコライの嫁は、エロ漫画の文法を脱構築し、新たな表現技法を確立する。その代表例が巻末に収められた「虎穴に入らずんば虎子を得ず」だろう。

 金髪ギャルの彼女の家を初めて訪れた彼氏の物語……というまだよくある導入からスタートするのっだが、なぜかその部屋にはトラがいる。かなりリアルなタッチのトラが。

 いざ行為が始まっても、そのトラは決していなくならない。主人公の幻覚なのか、はたまた本当にギャルの部屋にトラが存在するのか、それは最後まで明かされないままだ。エロ漫画にしてはあまりに不条理な設定なのだが、読者は読み進めていくうちにトラの設定の妙に気付かされる。

 エロ漫画では「定点カメラの構図」というのが最近頻用される。1ページのなかで枠を横長に切って、固定された構図のまま、上から下にいくにつれて時間が経過していく(そして行為も進展していく)というものだ。特に近年では多用されており、雑誌を読んでいると(ちなみに筆者は月額サブスクサービスのKomifloを利用している)1〜2誌に1作は必ず利用した作品を見かけるくらいの印象だ。

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 さて、本題に戻ると、本作でも固定カメラ視点は用いられている。だがそれは、「部屋の片隅にいるトラがギャルと主人公を眺めている視点」として、ある種合理的な根拠となりうる描写となっているのだ。多用される他の固定カメラ視点では、そうした理由はない。ただコンパクトなページ数で絡みが多く書け、しかもバリエーションが出せるという実作的な理由で使われているに過ぎないのであろう。そういった意味で、ある意味陳腐な伝統芸と化しかけていたこの技法に、ニコライの嫁は新たな生命を吹き込んだのである。

 それだけにとどまらない。冒頭に置かれた「捨てる紙あれば拾う紙あり」では、主人公が読むエロ漫画に応じて、エロ漫画の神がその作品に登場するヒロインを部屋に遣わす……という話なのだが、途中で登場する未亡人が、作中描写の都合で亡夫の遺影の解像度が低い! という下りが登場する。

「その作画の都合で妙に解像度の低い旦那の遺影に見せつけてやれっ」

 ここを読んで、筆者は筒井康隆虚人たち』を連想せずにはいられなかった。『虚人たち』は突如小説内世界に召喚された「登場人物」が、自らの役割を探して放浪するメタフィクショナルな物語だが、冒頭の場面で描写されていないから部屋のなかの様子がぼんやりしていて分からない、という似たような下りが登場するのである。まさにメタエロ漫画、なのである。

 そして続く「抜け忍、それは苦しい」では、抜け忍となったくノ一OL(?)が、傾いた会社の業績を立て直すべく、房中術を用いて営業を掛けるのだが、掛けた相手も実は抜け忍であり、まさかの房中術対決がはじまる、という奇想天外なストーリーとなっている。巻末のコメントで

OLものはウケがい良いと聞き、またくのいちものもエロマンガの定番でもあるので二つ合わせれば1000万パワーと意気込んで制作した作品。

と振り返っているが、いや、そうはならんやろ!!と思わずツッコみたくなってしまう。

 そして「来るもの拒まず」では、ひとり暮らしの男の家に、ある日突然現れた女性との物語が描かれる。全く身に覚えがなく、恐怖すら覚える男だが、向こうのペースに流されてしまい……という話の筋自体はありがちとはいえ、本作の凄みは、エロ漫画でまさかの叙述トリックが仕掛けられている点。ネタバレになるので詳述はしないが、エロ漫画か?→ホラーなんじゃないの?→え、SF!? といった具合に、感じ取るジャンルが変わっていく作品なのは確かだ。

 残る二作品「六畳ふたり」「三度目の浮気」は比較的オーソドックスなストーリーだが、特に「三度目の浮気」では、交際相手に浮気されてしまった女性の仕返しとして、声が素通りの隣室に住む後輩宅へ逃げ込みに行き、そこで相手に復讐するために行為に及ぶ……という理由付けの方法が極めて巧みであり、やはり筆力のある作家であると感じさせる。細かい描写でいくと、冒頭に紹介した「虎穴に入らずんば虎子を得ず」では、最後のページだけギャルのメイクが取れ、つけまつげ等も描写がなくなっているのだが、それでもなお同一性(=精神としてのギャル)を失わせずに描く作者の姿勢からは、ギャルへの並々ならぬこだわりを感じさせる。(なお、現在ニコライの嫁氏はnicolai名義で『れんげとなると!』という町中華を運営するギャルの漫画を連載している)

 

 

 最後になったが、雑誌掲載時からニコライの嫁氏の凄さ(革新性、実験性と商業誌掲載との両輪を成立させる技量)には感嘆させられてきた。ここに「全集」として〈奇天烈ポルノ〉がまとまったことは大変喜ばしいが、氏にはますます作品を執筆していただきたい。ジャンルというものは何でもそうだが、常に縮小再生産のリスクが生じる。それを打破できるのは、それを拒み、ジャンルの枠内を広げようとする創造者のみだ。

 これで「全部」だなんて思いたくはない。エロ漫画の世界には、ニコライの嫁がまだまだ必要だ。