機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

地に足のついた哲学的日常SF――つばな『第七女子会彷徨』

 

 

 

 誰が言った言葉だったかは今思い出せないのだが、SFとは目的であるというより手段だという。確かに、普段隠れてしまっている身の回りの物事や法則を未来的なガジェット等を通して浮かび上がらせることがSFにはできる。その手段としてのSFを巧みに用いているのが本作『第七女子会彷徨』だ。

 舞台は近未来の日本。そこでは高校入学と同時に三年間ペアとなる相手が組み与えられ、その相手との親密さが「友達」という科目の成績として進学などに重視されている。この「友達選定システム」によって友達番号七番としてペアになった二人の女子高生、金やんと高木さんが本作の主人公である。

 本作で描かれる日常は実に足のついたものだ。だが、そんな日常に幾多もの非日常的ガジェットが導入され、物語はSF、ファンタジー、ホラー、etcと様々なバリエーションを見せる。

 そのひとつが「デジタル天国」。本作では、心のデータ抽出によって死後インターネット内に存在する「天国」で再生することが可能になっている。その他にも冷凍睡眠や未来人、異次元から生じた怪物などが多数登場し、いまわれわれの日常に存在するものの不安定さを露わにしていく。

 たとえば、「デジタル天国」によって再生させられたあるクラスメイトは、校内では「超空間プロジェクター」によって電脳空間内のデータが現実空間に投影され、ふつうの女子高生としての日常を過ごしている。直接触ることのできない彼女はまさしく「幽霊」なのだが、彼女が平然と授業を受けたり昼ごはんを食べたり、あるいは友達から「一周忌おめでとー!」と祝われている様子からは生と死の境目がなくなり、地続きの空間として存在しているように思える。

 また「友達選定システム」によって、ふだん共に過ごしている「友達」というものの不可思議さが明らかにされる。いつもはエキセントリックだが、幼少期から引っ越しを繰り返し「嘘友達」ではなく「本当の友達」を希求し続ける高木さんの孤独が、本作ではたびたびクローズアップされている。

 このように、女子高生二人の日常を描きながらも存在や認識の根底を問いかける哲学的なテーマを展開する本作は、日常の中にSF的ガジェット(=非日常)を導入することで、我々が普段目に止めないいろいろなものの境目——生と死、友達と赤の他人、など——を曖昧にすることで、その不可思議さを露呈させる。

 そして最終巻では、これまでの伏線を見事に回収し切り、あらゆるものに決着を付けた。曖昧なままだった生と死、友達と赤の他人、そして高校生という子どもと大人の中間地点、一種のモラトリアムとしての身分もすべて。GWを丸々潰して『少女革命ウテナ』を見終わった時以来の感銘をわたしは最終巻から受けた。ぜひさらなる評価がなされて欲しい作品である。

 

 

上の同人誌に再録されてます。