機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』

 

 

 

 ルポルタージュは文学か、と聞かれたらおそらくそうなのだろうと思うのだが、これまでの世界文学全集でそれに類したものが収録されていたという話は、不思議とあまり聞かない。本書は二〇世紀のポーランドを代表するジャーナリストによって書かれたルポルタージュ作品であり、これを入れただけでも編者・池澤夏樹の慧眼は評価されるべきであろう。

 本書の題材となるのはアフリカだ。一九五八年のガーナを嚆矢とし、ウガンダケニア、ナイジェリア、エチオピアカメルーンなど、各国で筆者カプシチンスキが体験したアフリカの諸事情や出来事などが、臨場感ある筆致で語られていく。

「バスはいつ出るの?」「満員になったらに決まってる」という運転手とのやり取りから、ヨーロッパ的な時間の観念とアフリカのそれとを比較したり、氏族の掟とタブーについて聞き込みを行ったりする辺りはいかにも文化人類学的で手垢の付いた議論に思えるが、本書の面白さはそれぞれにちりばめられた挿話のユニークさによるところが大きい。

 妖術師の存在の真偽について尋ねる語り手と、「妖術師は家の戸口に蜘蛛の巣の糸を貼り付けていて、朝になって誰かが戸を開けるとそれを合図に闇に消える」と返す氏族の老婆。象牙目当ての白人には決して知り得ない、死にゆく象が沈んでいく沼。ひっきりなしに空き巣に入られていた宿にこれを飾るとぴたりと物盗りがこなくなった、あるムスリムの男に薦められた市場で売られていた雄鶏の白い羽の束。

 いずれもアフリカの土着的な色の濃いエピソードで、「アフリカン・マジックリアリズム」と一言に言ってしまいたくなる。そんな奇想天外な世界を紡ぐエピソード群が、カプシチンスキの縦横無尽な語りから繰り広げられるさまは圧巻だ。

 無論、そんな愉快な話ばかりというわけにはいかない。いままさにクーデターが起こった国で政変をレポしたり、冷たい人種差別の実態を語ったり、ルワンダ大虐殺に関しては一章をまるまる費やして解説されていたりもする。二〇世紀のアフリカの歴史は、争いの歴史でもあるのだ。

 こうした断片を通して浮かび上がるのは、アフリカという大陸の多様性とその果てしなさだ。無限の部族とそれにともなう多様な価値観、そのぶつかり合いのダイナミクスを、カプシチンスキは身をもって体験し、それを克明に記録して伝えようとしている。マラリアに罹患し高熱に苦しみながらも、あるいは銃撃に遭いながらも、またあるいはコブラに襲われながらも、決してめげずに取材を続行しようとする姿勢からは、彼のジャーナリストとしての覚悟のあらわれがうかがえる。

 決しておもねらず、かといって高みの見物をするのでもない、フラットな視線で眺められたからこそ浮き彫りになる、アフリカのありのままの姿が本書には描き出されている。こう言ってしまってもいいだろう——ルポルタージュだからこそ描き出せる世界がここにある。

 これもまた〈世界文学〉なのだと、読み終えたあと深くうなずくこと間違いなしの傑作だ。