機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

奇想あふれる柴田元幸第一アンソロジー――『世界の肌ざわり 新しいアメリカの短編』

 

 

 本書は柴田元幸編アンソロジーにとっての——柴田元幸氏そのものにとってのと言ってもいいだろう——記念碑的一冊である。というのも、柴田氏の翻訳家人生の始まりが白水社の叢書《新しいアメリカの文学》内でスティーヴン・ミルハウザーポール・オースターを担当することになったことであり、そして同じく《新しいアメリカの文学》内で斎藤英治氏とともに編者として編んだアンソロジー、初めてのアンソロジーが本書であるからだ。故に、本書が柴田氏のアンソロジストとしての第一歩目の足跡なのである。ちなみに、本書は斎藤氏との共編書だが、内訳としては、それぞれの翻訳作がそれぞれのセレクトであるとのこと。

 柴田氏セレクトでは、ティーヴ・スターン「ラザール・マルキン、天国へ行く」が現実と地続きの奇妙さを描いた作品として面白い。年中謎の行商旅行に出かけ、土産物を多数持ち帰ってくる語り手の義父。しかし彼は病魔に倒れ、ある日を境に古びた小屋の中に一人籠もるようになる。家族が具合を見に行くも、微動だにしない義父は、段々と周囲の埃やがらくたと見分けがつかなくなっていく——六百年前からずっと、どこかの教会堂の屋根裏でまどろみながら朽ち果てていくという、ゴーレムのように。やがて、「魂が逃げないように」鼻や耳の穴にボロ布が詰められるようになり……語り手はついに、死神が義父を来世へと送る姿を目撃する。彼はまた、昔日のように、神の国から土産物を持ち帰ってくるのだろうか? 後年のアンソロジーに見られる奇想・シュール路線の始まりを予感させる一作である。 

 一方、斎藤氏セレクトの中では、マーク・ヘルプリン「シュロイダーシュピッツェ」が凄い。写真家としての行き詰まりから突然未経験の登山に挑戦することを考え、単身アルプスへと向かう男。禁欲的な鍛錬を一人続ける内に、男はあまりにもリアルな登山の夢を見始める。次第に現実と夢の境界が曖昧になる中で、彼が山頂で見たものとは……。一人の男がある種の神秘的境地に至るまでの軌跡を描いた物語なのだが、男の孤独さ・ストイックさが導いた偽りの——彼にとっては区別はないものの——山頂からのヴィジョンの美しさが何とも印象的な傑作である。ストイックさと幻想性の共存具合から村上春樹の作品を連想したが、その後調べると、同作者の長編を村上氏が翻訳していた。

 その他、運動が不得手な孫娘を見守る老人の日々を丁寧に描いた表題作「世界の肌ざわり」、後の少年小説アンソロジーへの萌芽を覗かせる「アット・ザ・ポップ」、童謡「ドナドナ」でお馴染みの牧場から市場へと売られていく子牛の姿を子牛の目線から寓話的に描いた「母の話」など良作が揃う。また、ポール・オースターの妻であるシリ・ハストヴェット「フーディーニ」は、頭痛に悩まされる女子大生が入院した病室で出会った奇妙な人々を描いた連作短編(後に『目かくし』として白水社より邦訳)の中の一作であり、主人公に奇妙な執着を見せる「フーディニ」ことO夫人の不条理な行動から、現実と非現実の境目が失われていく様がホラーテイストで描かれている。

 シンシア・オジック「T・S・エリオット不朽の名作をめぐる知られざる真実 完全版書誌に向けてのノート」は、同じエリオットいじりではバーセルミ「アート・オブ・ベースボール」に完全に負けてしまっており(オチがただの替え歌ってどうなの?)、この手の作品ファンとしてはいささか残念ではある。なお、この後のアンソロジーでも文豪いじり系短編は数作収録されており、柴田氏の好みなのかな、と邪推することも可能。

 

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下記同人誌に収録。

hanfpen.booth.pm