機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

メキシコ・アメリカに跨る透明な境界、そして百合――カルロス・フエンテス『ガラスの国境』

ガラスの国境 (フィクションのエル・ドラード)


 表題にある「ガラスの国境」とは、メキシコとアメリカ合衆国の国境のことを指す。

 本来、国と国を隔てる国境とは、社会的な取り決めでしかない(陸続きの土地に何故境目が存在せねばならないのだろう?)。ゆえに、国境とは透明で実態のない存在であるべきはずなのだが、現実的にはそうはいかない。往来は制限され、関税は徴収され、境界線のゆらぎを巡って銃弾が飛び交う、そうした「物理的」なバリアとして機能しているのだ。そして現在、ドナルド・トランプが国境線に沿ってコンクリートの――文字通り「物理的」な――壁の建設を政策に掲げていることからも窺えるように、メキシコとアメリカという二国においては、この境界は特別濃くはっきりとした障壁として、両国の人々の目前に立ちふさがっている。

 本作はこの国境線沿いで暮らし、働き、苦しむ人々の姿を描いた連作短編集だ。


 そもそも、歴史上の経緯からして、メキシコのアメリカに対して注ぐ視線には複雑なものがある。本作にしばしば登場する、米墨戦争後の領土分割(現在のカリフォルニア州ネバダ州・ユタ州など、当時の全メキシコ領の1/3を失った)に怨嗟の声を漏らす人々の姿には、その屈折した想いが反映されている。

 だが同時に、現在のメキシコはアメリカの経済なくしては到底成立しないのも事実だ。メキシコからの出稼ぎ労働者から格安で労働力を吸い上げ商品を世界各国へと売り捌く富めるアメリカと、出稼ぎの給金なしには暮らしていけない人々を多数抱える、貧しいメキシコ。この両者の共犯関係の中で生まれる、差別・暴力・性暴力・苦痛――これらが本書に収められた九つの物語に通奏するモチーフである。

 そして、これらが招く苦々しい感情や哀切な悲劇が連作短編の形で響き合うことで、メキシコ・アメリカ両国間に存在し続ける「ガラスの国境」が、歴史的・社会的・文化的……と、多層的な角度で描き出されているのが、本書最大の特色と言えるだろう。メキシコ・アイデンティティの追求に小説家人生を捧げたフエンテスにしか書き得なかったであろう極めて社会的な物語であり、その強度はメキシコから遠く離れた極東の島国においても充分通用しうる代物だ。

 

 最後に、評者お気に入りの短編「女友達」の紹介を。

 シカゴの豪邸に住む老婦人は、家族に先立たれ孤独な日々を過ごしている。そのうえ極めて偏屈な性格で、使用人を雇っても毎度虐めては辞めさせるの繰り返しで、孤独が解消される日は訪れない。

 見かねた甥が送り込んだ女使用人はメキシコ人で、偏見のある老婦人は今まで同様、メキシコ人との文化的な違いを理由にグチグチと文句を言うのだが、使用人は全てを受け入れ、親愛をもって包み込む。

 最初は拒絶するものの、次第に使用人から愛を学んでいく老婦人。そして最後には、真実の愛に到達するだった……という、メキシコ-アメリカの文化的差異を描くにかこつけて老婦人×女使用人の百合が書きたかっただけなのでは?? と思ってしまうほど素晴らしい百合短編に仕上がっている。

 
 堅苦しいテーマ一辺倒ではなく、こうした人情味溢れる話も多く収録されているので、その方面で興味のある方も是非一読を。

 

〈合わせておすすめ〉

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

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全体的にホラーテイストな短編集。

ヤンデレ気味の妹と兄の関係性を、メキシコ&ヨーロッパのアイデンティティと絡めて描いた「純な魂」、影・鏡・分身のモチーフを使った「アウラ」など、良作多し。