機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

パロディとナンセンスに満ちた壮大な日本野球創設神話――高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

 もし「世界三大野球小説」というものを考えるならば、本作は絶対に外せない。ロバート・クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会』、フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』、井村恭一『ベイスボイル・ブック』、石川博品後宮楽園球場』など、国内国外を問わず野球をテーマにした小説は数あれど、本作以上に野球への愛と絶望を描き、かつその上で文学的な飛翔を軽やかに成し遂げてみせる作品はそうないだろう。

 

 この物語は七つの断章からなり、どれも野球が中心になって語られる。例えば、読んだ本の中から野球に関する事柄をノートに書き写す仕事をしている男。叔父から遙か昔に廃れた野球というスポーツを教わる小学生。始まらない野球の試合とその開始を待ち続けるウグイス嬢。

 だが、どの挿話においても野球は表層的なもので、単なる媒介に過ぎない。本から野球の記述を書き写す男は、ルナールの『博物誌』から試合中に監督からサード・コーチャーに送るサインを、ホイットマンの詩から遊撃手がセカンドへ牽制に入る時の心得を見出す。スランプに陥った名打者は、ライプニッツの単子論から発想を得た結果、妻を「キャッチャー」、家族を「チームメイト」、息子を「バットボーイ」と呼んだり、「大蔵省」という単語に一塁線ぎりぎりのセーフティ・スクイズを結び付けるように――つまり、あらゆるものを野球に結びつけてしまったりする。これらを文字通りに受け取ると、あまりにもナンセンスだ。

 

 本作を注意深く読むと、全体を貫くストーリーラインとしてランディ・バース阪神タイガースの一九八五年のリーグ優勝の立役者となった、実在する助っ人外国人選手)を主人公とした物語が現れる。これによれば本作は、阪神を退団したバースが野球について書かれた言葉を集め続ける過程を描いたものだという。最終章「Ⅶ 日本野球の行方」では、一九八五年のシーズン優勝直前に、阪神の選手たちが「自分たちがしていることは野球ではない」と感じ、全員でチームを辞めどこかへ消えてしまったことが語られる。掛布雅之(当時の中心打者)は野球を教えに精神病院を巡り、吉田義男(当時の優勝監督)はその精神病院で患者として誇大妄想じみた壮大な日本野球創設神話を語っているという。

 そして主人公であるバースは、野球について書かれた文章を集めることで、分からなくなってしまった「野球」を再び見つけ出そうとする。自分の方法に確信は持てないが、「野球」が確かに存在することだけは信じているバースは、野球が文化的に滅びてしまった世界の中で、野球に関する言葉を図書館の本から集めることによって、かつての「野球」を再現しようとしているのだ。この行いの中では、バースの無知が故に、あらゆる言葉が、野球に関係する文章として収集されている。だからこそ「野球」があらゆる概念・言葉に置き換えられる世界が描かれていて、あらゆるものが日本野球に置き換わってしまった奇々怪々な物語が展開されている。

 

 パロディやパスティーシュをふんだんに詰め込み、野球という媒介を通して日本社会や文学について言及する離れ業を一見軽やかに成し遂げてみせた本作は、まさしくポストモダン文学の傑作と呼べるだろう。

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

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ユニヴァーサル野球協会 (白水Uブックス)

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パワプロのペナントが好きな人へ。シミュレーションゲームが好きな人一般にも刺さるかも。