時に、優れたノンフィクションはフィクションに限りなく接近する。本書もそんな一冊だ。
舞台は1930年のロシア。そこである詩人が不審な死を遂げた。
現地警察は拳銃自殺と断定したものの、不可解な点の残る現場状況や彼を取り巻いていた環境、そして当時のロシアの政治状況から、その死は暗殺ではないかと囁かれた。
死の当日、直前までマヤコフスキーと会見していた女優ポロンスカヤは、マヤコフスキーの死後すぐに現地警察によって取られた調書においては、彼との関係(恋愛関係を含む)を全面的に否定し、自身の無関係を主張している。
だがその8年後、1938年に発表された回想録で、その証言は大きく覆される。詩人との不倫関係、当時のマヤコフスキーの精神的な不安定さ、死の直前でのいざこざ——センセーショナルな事実が次々と明かされるなか、その記録からは、巧妙に隠されてはいるものの、ポロンスカヤが予測する結末――詩人の死にまつわる、秘められた大きな事実が、抜け落ちているのではないか? 著者は残された回想録や周辺人物の証言をもとに、謎に包まれた詩人の死に迫っていく。
本書の特徴は、その構成にある。ポロンスカヤの3つの証言録を翻訳として掲載するかたわら、著者である小笠原豊樹氏(ブラッドベリの翻訳などで知られる名翻訳家。マヤコフスキー詩集の翻訳を手がけていたが、半ばで逝去)による解説・推理が挟まれながら、詩人マヤコフスキーの死の真相に迫るその構成は、まさにポストモダン小説さながらである。時期によって異なる3つの証言を筆者の持論と共に配置する構成が事件全体の虚構性を強調し、フィクションと現実との境目がゆらぎ出す感覚は大変刺激的であり、上質なミステリ小説のような読書体験を味わえる。
また、謎を取り巻く当時のロシアのキナ臭い政情や、マヤコフスキーの死を調査していたいかにもうさんくさげな人物の突然の死など、周辺として語られる逸話も大変興味深く、謎めいた詩人の死に迫るサスペンスに華を添えている。特に、ポロンスカヤの2つ目の記録は、ポロンスカヤの一人称で描かれた小説としてしか読めないほどにフィクションめいている。
バルガス=リョサ『マイタの物語』で、語り手の小説家が、取材を通してノンフィクションとしての伝記を記すつもりが、偽りの人物像を「創造」してしまったように、フィクションとノンフィクションの境目は常に曖昧である——というのも、言わずもがな、語る人物、それを書き上げる人物の主観抜きに記述をなすことは不可能だからだ。そうした点で、本作は謎を巡る誰かの証言を翻訳したものを更に誰かが歪曲して解釈して……と、真の事実からは遠ざかりながらも死の真実に迫ろうとする点で、大きな矛盾が存在しているのかもしれない。だが、その虚構と現実のゆらぎというのは、フィクションとして捉えれば何とも味わい深いものだ。ぜひ一読して楽しんでほしい。
〈読みたくなった本〉
小笠原豊樹氏による翻訳。叢書全てにKindle版がある(謎)。
- 作者: ジュリアンバーンズ,Julian Barnes,斎藤昌三
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1993/10
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- 作者: フアン・ガブリエルバスケス,Juan Gabriel V´asquez,久野量一
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実在の作家・小説をモデルにしたフィクション。虚構と現実の境がゆらぐ心地よさ。