機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

乗り越えろペダン――アレホ・カルペンティエール『方法異説』

 

 読みにくいよ、この本。

 『族長の秋』『至高の我』と並んでラテンアメリカ文学の三大独裁者小説と称される本作だが、カルペンティエールのまどろっこしい文体——人称が交錯する語り、延々と羅列される固有名詞、そして今あなたが読んでいるような挿入句の多用——によって、読了に手間と時間を要する作品となっている。一番困るのが固有名詞で、ずらずらずらずら必要以上に並べられ、あまりの衒学ぶりに呆れ返らざるを得ない圧倒的分量のカタカナ人名・作品名を読み流すだけでも大変なのに、訳者・寺尾隆吉の流儀なのかこれらに一切注釈はないのだから、読む側としたらたまったものではない。とりわけ顕著なのがカルペンティエールの専門分野である建築と音楽関係に関する名詞群で、建築学科でもクラシック愛好家でも何でもない当方にとっては何のこっちゃさっぱり分からず、読むのに大変な苦労を強いられた。カルペンティエールの長編で本作のみ訳出されていなかったのも、この煩雑さに起因するものだろう。

 それはさておき、本作に登場する独裁者・第一執政官は、残忍一辺倒の強権的な側面だけではなく、無学な国民が溢れる国において欧米文化を模倣し、自らも西欧的知識人を気取らんとして背伸びしようとするような、地に足の着いた人間臭さを併せ持つ人物として描かれている。故に、付け焼き刃の知識からボロを出すこともしばしばであり、真面目極まりない小説というイメージのカルペンティエール作品にしては珍しく、スラップスティック的な要素も盛り込まれている。

 とりわけ、政権を打倒せんとする革命勢力を率いる神話めいたリーダーのエル・エストゥディアンテと直接対話を試みる場面や、政権が崩壊し亡命した後の住処で故郷の料理を食べ郷愁に耽る場面など、残虐な大量殺人を命じた第一執政官がちらりと覗かせる人間臭さは印象的だ。あからさまな独裁制批判に堕することなく、一人間としての側面をある種同情的に描くことで――何度も内乱が起こるのだが、結局彼以上に政権運営能力のある人物がいないために仕方なく鎮圧しては政権を維持し続けている事情がある――当時のラテンアメリカ諸国における現状をより深く表現することに成功していると言えるだろう。

 『族長の秋』ほど魔術的リアリズムの要素はなく、独裁者としての凄みにも欠けるかもしれないが、カルペンティエールの叙情的な文体がこれほどに堪能できるというだけでも、作者のファンにはたまらない作品だろう。

 

 にしても読みにくいよ、この本。なんなんだ。

〈追記〉

《フィクションのエル・ドラード》には、まだあと『バロック協奏曲』『時との戦い』と2つカルペンティエール作品が控えているのだが、正直読める気がしない……。

 

 

 

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  三大独裁者小説についての記述あり。