ホルヘ・ルイス・ボルヘス。アルゼンチンが生んだ二〇世紀の世界文学上最大の作家の一人で、「知の工匠」「迷宮の作家」等の異名を持つ巨匠である。日本でも大変人気があり、現在では岩波文庫に著作の多くが収録されている。
さて、彼の作風の最大の特徴は、生涯を通して短編小説しか著さなかったことだ。一番長い作品でも、日本語訳で二〇ページほどしかない。だが彼の短編から喚起されるイメージは、迷宮、鏡、無限、架空の書物等々といったモチーフによって増幅され、長編小説にも匹敵する物となる。
短編集としての代表作『伝奇集』は岩波文庫で刊行されているほか、『砂の本』『ブロディーの報告書』『アレフ』など、彼の主要な短編は、短編集としてほとんど邦訳されていると言ってよい。
だが一作だけ、邦訳されていない作品がある、と言えばどうだろうか。その存在は、ペンギン・ブックスから刊行されているボルヘスの全短編集に記載されている。題は「シェイクスピアの記憶」(「La memoria de Shakespeare」、英題「Shakespeare's Memory」)。そしてこの作品は、ボルヘスの生涯最後の作品である。
なぜこの作品だけ訳されていないのか? 短編リストを眺めたところ、他の作品はみな訳出されているようである。よりによって最後の一作だけ、なぜ未訳のままなのだろうか。以下では書誌情報を探りつつ、その謎に迫ってみたい。
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私が最初に「シェイクスピアの記憶」の存在に気付いたのは、今福龍太『ボルヘス『伝奇集』―迷宮の夢見る虎』(二〇一九)を読んだ時だった。冒頭からして
死の三年前の一九八三年、八四歳のボルヘスは生涯で最後の短編集となる『シェイクスピアの記憶』La memoria de Shakespeareを刊行した。
と記されている。当時「翻訳作品集成」(翻訳小説の書誌情報を集めたサイト)を巡回するのが日課となっていた私は違和感を覚えた。そんな題のボルヘスの小説あったっけ? と。
実際、翻訳作品集成内のボルヘスのページには、そうした題の短編は掲載されていなかった。すわ未訳作品か、と思わず身構えたが、すぐに我に返った。翻訳作品集成は素晴らしいサイトだが、必ずしも正しい訳ではない。個人で運営している以上、漏れはどうしようもなく発生することだし、もう少し調べてみなければいかんだろう、と。
ということで、まず手始めに、「La memoria de Shakespeare」でGoogle検索を掛けてみた。一番上にスペイン語版Wikipediaのページが表示された。そこには「一九八三年刊行」「『一九八三年八月二十五日』『青い虎』『パラケルススの薔薇』『シェイクスピアの記憶』の四篇が収録」と記載されていた。そこで改めて、翻訳作品集成を見直してみた。
ボルヘス自身が編んだ世界文学短編アンソロジーに叢書《バベルの図書館》というものがあり、国書刊行会から翻訳出版されている(新版として全六巻に編集し直されたものが現在でも手に入る)。その中のボルヘスの巻に、「一九八三年八月二十五日」「青い虎」「パラケルススの薔薇」の三篇は訳出されていたのである。なるほど、では《バベルの図書館》ボルヘス巻=『シェイクスピアの記憶』なのか、と思うのだが、事態はそんな単純ではない。なぜか短編「シェイクスピアの記憶」だけがオミットされ、代わりに『砂の本』収録の短編「疲れた男のユートピア」が入っているのである。
なぜ? 混乱した私は、改めてボルヘスの原著書年表に当たった。
すると、更に混乱すべきことに、どの書誌情報に当たっても、一九八三年刊行の『シェイクスピアの記憶』La memoria de Shakespeareなる本は存在しないのである!
(一九九七年刊行として同題の本の記載はある)
代わりに、多くの書誌情報で、一九八三年刊行として記載されている本として「Veinticinco de Agosto de 1983 : y otros cuentos」という本があった。邦訳すると「一九八三年八月二十五日、およびその他の物語」。スペイン語版Wikipediaに記載されていた『シェイクスピアの記憶』収録短編の題名である。なるほど、再版時に表題作を変更した等で混乱が生じているのか……と思い、一安心しかけたのだが、どうやらこれも正しくないようである。
「Veinticinco de Agosto de 1983 : y otros cuentos」は英語版Wikipediaでは「Shakespeare's Memory」と同じ内容の本として扱われているが、実際には異なる本なのである。同題で検索して出てくるのは、日本の読者にも馴染み深い、あの叢書《バベルの図書館》の装丁だ。つまり「Veinticinco de Agosto de 1983 y otros cuentos」は叢書《バベルの図書館》の中の一冊であるということがここで分かる。
さて、先ほども述べた通り、邦訳された《バベルの図書館》のボルヘスの巻には、四篇が収録されている。「一九八三年八月二十五日」「青い虎」「パラケルススの薔薇」――そして、「疲れた男のユートピア」である。決して「シェイクスピアの記憶」ではないことが、事態をより混乱させている。
つまり、英語版Wikipediaやペンギン・ブックス版全短編集に『Shakespeare's Memory』として含まれている短編――「一九八三年八月二十五日」「青い虎」「パラケルススの薔薇」「シェイクスピアの記憶」――のうち、三編しか重なっていない。《バベルの図書館》ボルヘス巻にはなぜか「シェイクスピアの記憶」ではなく、「疲れた男のユートピア」が収録されているのである。「疲れた男のユートピア」は『砂の本』の中の一作として収録されている作品で、なぜ入れ替えられたのかは定かではない。《バベルの図書館》は原著のまま邦訳しているので、原著の時点で作品の入れ替えが行われていたようである。なお、《バベルの図書館》ボルヘス巻の編集はボルヘス自身ではない、別の人物が担当している。
ここで持ち上がるのが、そもそも「La memoria de Shakespeare」は、いつ短編集として本に収録されたのか、という問題である。ジェイムズ・ウッダル『ボルヘス伝』(二〇〇二)によると、「シェイクスピアの記憶」はディ=ジョヴァンニによって英訳され、最初は『タイムズ』誌に掲載、その後一九八六年にロンドンのコンスタブル社から出版された『Winter's Tales 2』なる本に収められたという。この本については詳細が不明だが、名前から推察するに、恐らくシェイクスピアテーマのアンソロジーなのではないかと思われる。
スペイン語のデータベースサイトで調べたところ、一九八二年刊行、「一九八三年八月二十五日」「青い虎」「パラケルススの薔薇」「シェイクスピアの記憶」の四篇収録、題名は「La memoria de Shakespeare」という本が一件ヒットした。その情報によると、その本は三十六部限定の一種の記念品で、番号が振られているのだという。なるほど、それでは一般的な書誌情報に載らない筈だ。
このデータベースサイトによると、広く「La memoria de Shakespeare」が読まれるようになったのは、一九八九年(一九九二年という記録もある)刊行のボルヘス全集(一九七五年から一九八五年の作品を集めた巻)が初めてのようだ。そして一九九七年に「La memoria de Shakespeare」を表題作として上記四篇を収録した短編集が、初めてAlianza Editorial社より刊行された。
冒頭で述べた今福龍太氏の本には、
この本(引用者注・『シェイクスピアの記憶』)が出版された頃メキシコに住んでいた私は、『砂の本』(一九七五)以来久しぶりのボルヘス短編集の出現に興奮し、直ちに入手して読み耽った。
との記述があるが、これは氏の記憶違いなのではあるまいか。限定版を入手できたのならそうかもしれないが、実際のところは不明である。また、今福氏の本の巻末にある参考文献では、『シェイクスピアの記憶』は一九八二年刊行ということになっており、そもそも一九八三年刊行という記述と矛盾する。
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長々と解説してきたが、改めて、なぜ「La memoria de Shakespeare」が邦訳されなかったかという問題に立ち返ってみたい。まず、日本で《バベルの図書館》ボルヘス巻が刊行されたのは一九九〇年のことである。この時点で、短編集版『シェイクスピアの記憶』収録作四篇の内、三篇は邦訳されたことになる。残ったのは表題作「La memoria de Shakespeare」だけだ。日本語翻訳者陣がいつ「La memoria de Shakespeare」の存在に気付いたのかは定かでない。恐らく英語資料にも目を通していたはずだから、案外早期から気付いていたのかもしれない。兎にも角にも、一九九七年にはそのものずばりの短編集がスペイン語で刊行されているのだから、九七年には絶対に気が付いているであろう。また、ペンギン・ブックス版ボルヘス全小説集が一九九八年に刊行されており、これには英訳された(『タイムズ』誌に初出の)「Shakespeare's Memory」が収録されているので、間違いなく気付いていた筈である。
となれば、気付いていたのにも関わらず、なぜ訳出されなかったのか?という問題が残る。それには恐らく翻訳権の問題がつきまとうのだろう。
一〇年留保ルールにより、一九七〇年以前に出版された作品は、発表後一〇年間邦訳がなければ、一〇年間が経過した後には、翻訳権の取得なしに自由に翻訳出版することができる。ボルヘスの短編集には、実はこのルールに則って出版されているものが多い。『伝奇集』(一九四四年)はもちろんのこと、『アレフ』(一九四九年)、『創造者』(一九六四年)など、主要な作品は大体一〇年留保の範囲内なのである。実際、本の扉や奥付付近を見ると、海外小説にありがちな著作権者の表示がない。最近、雑誌『たべるのがおそい』内で、西崎憲氏が「八岐の園」の新訳を発表されていたが(「あまたの叉路の庭」、『たべるのがおそいvol.6』)、これも翻訳権の取得の問題が不要だからこそできた側面はあるだろう。例外は『砂の本』(一九七七年)くらいなものだ。つまり、翻訳権が不要だからこそ、ボルヘスの短編集は出版社としても低コストで販売できた、という側面は間違いなくあっただろう、ということだ。
では『シェイクスピアの記憶』はどうか。限定版(一九八二年)にしろAlianza Editorial社版(一九九七年)にしろ、一九七〇年以降の作品であるから、出版権を取得せねば、出版社は日本国内で翻訳出版をすることはできない。この時点で翻訳料の問題が生じてくる。大作家であればあるほどその代金は高くなるし、制約も付く。近年では、J・G・バラードが短編を新たに翻訳出版するなら「短編全集」の形で一括で翻訳権を取得してその形で出版しないと認めない、という条件を付け、実際に東京創元社は既存の短編集を重版することができなくなり、新たにバラード短編全集という形で出し直している。ボルヘス側の著作権継承者がそこまでややこしい条件を突きつけているとは思えないが、前出の『ボルヘス伝』を読む限り、割と権利関係は入り組んでいて、複雑な問題も一部孕んでいるようだ。その辺りで出版社側が二の足を踏んでいることは十分に考えられる。
また、既に《バベルの図書館》内で四篇中三篇が収録されていることも関係しているだろう。短編集『シェイクスピアの記憶』を出すとすれば、二〇〇〇年頃から始まった国書刊行会の《ボルヘス・コレクション》内で出すのがベストなタイミングだったと思うが、日本で叢書《バベルの図書館》を刊行しているのも国書刊行会である。流石にほとんど同内容の本を出すのはいかがなものか、かつ別に翻訳料も必要であるし……等々の議論が国書刊行会編集部内で交わされたかどうかは定かではないが、これらの問題が関係していたのは恐らく確かだろう。また、四篇だけでは本として薄くなりすぎるという問題もあっただろう(《バベルの図書館》ボルヘス巻にしても、割と文字は大きめかつ巻末に割と長めのボルヘスインタビューが併録されている)。
それにしても、多少翻訳権料が嵩んだとしても、二〇〇〇年に出たボルヘス関係の著名人の文章を集めたボルヘス・ファンブック的存在『ボルヘスの世界』(国書刊行会)内で訳出してしまえばよかったのに! と思うのは素人考えだからだろうか。一作だけ未訳というのもどうにも歯がゆさが残る。『伝奇集』その他ボルヘスの作品を多く手掛けた鼓直先生が昨年亡くなられたことも悔やまれる。ぜひともどこか、よきところで訳出されてほしいものである。
◆参考文献
今福龍太(二〇一九)『ボルヘス『伝奇集』―迷宮の夢見る虎』 慶應義塾大学出版会
澁澤龍彦ほか(二〇〇〇)『ボルヘスの世界』 国書刊行会
ジェイムズ・ウッダル(二〇〇二)『ボルヘス伝』(平野幸彦訳) 白水社
Borges, Jorge Luis. The Book of Sand and Shakespeare's Memory, 2007. Penguin Classics.
ameqlist.「翻訳作品集成(Japanese Translation List)」http://ameqlist.com/