機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

恋愛、そして破滅――柴田元幸編『燃える天使』

燃える天使 (角川文庫)

燃える天使 (角川文庫)

 

◆ジョン・マッギャハン「僕の恋、僕の傘」  訳し下ろし→『男の事情 女の事情(国書刊行会

◆V・S・プリチェット「床屋の話」  訳し下ろし

◆フィリップ・マッキャン「愛の跡」  訳し下ろし

パトリック・マグラア「ブロードムアの少年時代」  訳し下ろし

ヴァレリー・マーティン「世の習い」  訳し下ろし

◆シェイマス・ディーン「ケイティの話 1950年10月」 訳し下ろし

◆マーク・ヘルプリン「太平洋の岸辺で」  『マリ・クレール』1990/ 2

スチュアート・ダイベック「猫女」  『月刊カドカワ』1996/ 3

◆ジャック・プラスキー 「メリーゴーラウンド」  『月刊カドカワ』1996/ 6

ピーター・ケアリー「影製造産業に関する報告」  『月刊カドカワ』1996/10

◆ジョン・フラー「亀の悲しみ」「アキレスの回想録」 『月刊カドカワ』1996/12

◆モアシル・スクリアル「燃える天使」「謎めいた目」   『月刊カドカワ』1996/ 8

◆スペンサー・ホルスト「サンタクロース殺人犯」  『月刊カドカワ』1997/ 1

  

 一九九六年から九七年にかけて『月刊カドカワ』に翻訳連載された作品を主に集めたアンソロジー。当時『エスクァイア 日本版』誌でも柴田氏は翻訳連載を持っており(後の『夜の姉妹団』)、『月カド』と合わせて月二本も柴田セレクトの短編が読める環境であったというのは恐ろしい(そしてそれをこなす柴田氏の生産量も)。なお、エスクァイア誌との住み分けとして年齢層を考え、なるべく青春・恋愛テーマの作品を選ぶようにしたという(実際に恋愛ものが多い)が、その一方で青春や恋愛の甘酸っぱさの欠片もない奇想・シュール系の作品もちらほらと混ざっており、妙な異彩を放っている。

 恋愛テーマの作品では、マーク・ヘルプリン「太平洋の岸辺で」 が白眉だ。舞台は第二次大戦中のアメリカ。海軍中尉として南太平洋へ出征した夫を持つポーレットは、五百人以上の女性が働く飛行機工場で精密溶接工として働いている。同じ境遇の女性たちが夫の戦死報告とともに工場を去るなか、ひとりポーレットは日々の溶接の仕事を果たし、菜園を育て、賛美歌を歌いながら、遥かに隔てた南太平洋の島を思い続ける——工場のラインのリズムと賛美歌とがリフレインとなって、海上を雷鳴として飛び、奇跡を起こすその瞬間まで。短編ながら、脳見つかる繊細に描かれた心情描写が最後の一文を際立たせる。

 その他、傘の下で逢瀬を重ねる、傘の下でしか愛し合えなかった男女の哀しいラブ・ストーリー「僕の恋、僕の傘」や、レズビアンの女性が偶然出会った不良少年と送る奇妙な共同生活の中で描かれる、「自分が愛していて、そして決して手に入れられない」愛を巡る、出会いと別れの物語「愛の跡」も印象的。

 狂気という意味では、スチュアート・ダイベック「猫女」が凄まじい。ルーサー・ストリートには“猫女”と呼ばれる老婆が住んでいた。猫女は夜な夜な近所の家庭から頼まれ、余った仔猫を預かっては洗濯機に入れ溺死させることで始末していた。一方、彼女と同居する孫のスワンテクは、猫女の老いとともに狂気を募らせていく。猫の死体を洗濯ロープに吊るし近隣の廃車に放火する彼の姿から人々は「スワンテクは仔猫を絞り機に掛ける」と噂し、誰も仔猫を猫女のもとへ預けなくなってしまう。すると町には始末されなかった猫が溢れ出し、人々も苛立ちを募らせ、町は荒廃の一途を辿り……。破滅のヴィジョンを鮮烈なイメージで描き出した、ごく短いながらも印象に残る一作だ。

 また、「ケイティの話 一九五〇年一〇月」 も推したい一作。夫が蒸発した後、ひとり妹の家族たちと暮らすケイティ。彼女の甥である語り手は、いつも寝る前にケイティの不思議な物語を耳にしていた。本作はそんなケイティがある日語った、「あんたたちの大伯父さんのコンスタンティンの、そのまたお母さんから聞いた」話、という枠構造を持つ。アイルランドのある村で、若い娘がある孤児の兄妹を住み込みで世話をすることになった。その名前は——フランシス(Francis)とフランシス(Frances)。名を同じくする双子の二人は、ある日を境に、突然、髪色や、肌の色、さらには性別までもが入れ替わっていく。ごく小さな変化を繰り返しながら入れ替わり続ける二人に怯えた若い娘は、近所の司祭に相談する。だが、司祭には娘の正気の方を疑われてしまう。不安を抱えながら暮らしていたある日のこと、娘は兄妹が鏡に映らないことを発見する。だが、そのことに気付いた瞬間、屋敷の大時計が大きく鳴り、そして兄妹は誰も聞いたことのない言語で歌いはじめる……。民話的語りで描かれるアイルランド的奇想と恐怖譚の融合が楽しめる一作。

 その他、凶悪犯罪を起こした犯罪者を「犯罪性精神障害者」として収容するブロードムア病院で院長の息子として少年時代を過ごした語り手によるフィクション……と思いきや、実際にはエッセイであるパトリック・マグラア「ブロードムアの少年時代」(マグラアの父親は本当に院長だったらしい)は、「患者」として病棟に入れられた人々との交流を通して、人間の極限の精神状態を垣間見た少年が作家を志すまでの軌跡としても読める一作で興味深い。西海岸に続々と出現する「影」の工場を巡る不可思議な物語ピーター・ケアリー「影製造産業に関する報告」も、やや短く分量的に物足りなくはあるが、奇想度ではピカイチ。