機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

韓松エッセイ「中国SFを海外に発信すること――新しい対話」

韓松のエッセイを翻訳した。底本は昨日のインタビューと同じA Primer to Han Song。韓松流の中国SFが世界で受容されている理由の考察と、今後の行く末について。

 

 

中国SFを海外に発信すること――新しい対話 韓松
SENDING CHINESE SCIENCE FICTION OVERSEAS: A NEW DIALOGUE


ナサニエルアイザックソン訳


 サイエンス・フィクション(SF)は西洋から移植されたものであり、かつては中国に存在しなかった。しかし、その土地の土壌に適応し、あらゆる困難に対応し、根を張り、芽を出し、今日、甘美な実を結び、西洋に再輸出されている――劉慈欣『三体』はヒューゴー賞を受賞し、その後、多くの言語に翻訳された。これは、他の多くの国で達成されていない偉業である。

 二〇一九年は中国の五・四運動から一〇〇周年であり、西洋科学や民主主義といった概念が中国に導入されてからの一〇〇周年でもあった。しかし、科学や民主主義がこの地で完全に成熟することはなかった。ゆえに、われわれはSFを通じて、中国の文化や課題、そして未来に親しむ機会を得たのだ。この点において、今から九〇年前に生まれた中国SFの父、鄭文光氏にも敬意を表したい。彼の小説『火星の開拓者』 Pioneers of Mars は、ソ連で開催された第六回世界青少年学生フェスティバルで大賞を受賞し、中国SFが海外に紹介される先駆けとなった。

 一九七八年の中国の改革開放をきっかけに、中国SFはさらに海外から注目されるようになった。日本ではいち早く「中国SF研究会」が設立され、日本人の研究者が活躍している。また、わたしの作品は多くの外国語に翻訳されているが、その最初の言語が日本語であった。日本人の中国SFに対する理解は独特である。上海の李重民氏が翻訳した、武田雅也、林久之の『中国科学幻想文学史』(https://book.douban.com/subject/27056143/)は一読の価値がある。中国人と日本人のSF観は同じなようで同じでない。二〇〇七年に横浜で開催された世界SF大会ワールドコン)で、わたしは中国SFの紹介、中国SFに見られる日本の要素、中国における日本SFの翻訳についてスピーチした。その後、多くの中国作家のSF作品が日本語に翻訳された。中国語で読めるSFで最も古い作品は、日本語からの翻訳だったのだ。これは実におもしろい話だ。

 また、SF作家という立場で、ノルウェーやイギリスの文学イベントに招待されたこともある。彼らは、「どうして中国にSFがあるのか?」「世界のSF小説がなぜこんなにたくさん中国語に翻訳されているのか?」「ハインラインのように反共だった作家もいるが、なぜ彼の作品が中国語に翻訳されたのか?」などと、かなり興味を持って質問を投げかけた。ノルウェーはヨーロッパにおける社会主義のベースキャンプ地であり、中国の共産主義作家が謳う未来の宇宙時代に興味を抱く人も多い。

 中国のSF熱と、それが国際的に注目されていることについて、わたしは次のように考えている。

 一つは、中国SFは欧米のユートピアの鏡像であること。新世紀に入り、中国SFが海外に輸出されるようになったのは、歴史の転換のきざしである。SFは、五百年にわたるグローバリゼーションの産物である。技術革命、産業革命重商主義、物質主義、人身売買などの歴史はもちろん、大航海、開拓、植民地化、民主主義と権威主義、自由と偏狭の争いなど、すべてが中国に大きな影響を与えた。つまり、中国SFはグローバリゼーションの一部なのである。そして今、発展途上国の台頭を受け、SFは西欧への逆襲をはじめている。これは、中国の製造業におけるケースと同様である。自動車部品からパソコン、携帯電話、バッグ、玩具に至るまで、SFは欧米人に馴染み深いガワを備えており、武侠小説の常識を受け入れるよりもSFの常識を受け入れる方が簡単とさえ言えるかもしれない。中国SFの中に、彼らは西洋のユートピア像の反映を見るかもしれない。しかし、これは回顧的なふるまいではないのだ。未来志向であり、世界第二位の経済大国の傑出した成長の産物であり、中国による再植民地化のプロジェクトなのである。このように、中国の「一帯一路」構想は、SFの中でも最も壮大なものとなっている。

 第二に、中国SFは人民の共産主義ディストピアであること。最初期の中国SFは、愛国的な性質を帯びている。これは中国のテクノロジーと同じで、カウンターとして発展してきたがゆえだ。欧米人たちはオーウェルの『1984年』を読み成長してきたわけで、中国の国家体制の中でどのような想像力が生まれてくるのか、自然と注目されるということだ。例えば、中国SFでは、危機的状況において、全体主義的な政権があっという間に宇宙で権力を握る可能性を検証している。中国人の世界観、宇宙観は欧米のものとは異なる。SF映画『流転の地球』の背景にある哲学を、家族主義、集団主義だと指摘する欧米人もいる。中国は、宇宙に党支部を設立する計画を発表している。「中国を理解するためには、中国SFを理解しなければならない」と述べた欧米人もいる。中米の対立は、未来を定義し解釈する力を誰が持つかを決める、SF的な対決なのである。中国SFに共産主義ディストピアが登場するのは、ファーウェイやZTE、グレートファイアウォール(金盾)や中国サイバースペース管理局を見ていることによるのかもしれない。これは、中国国内の内政だけでなく、世界の政治にも大きな影響を与えるものであり、この点で、大躍進や文化大革命とは異なっている。

 第三に、中国SFは無垢な人類のユートピアである。つまり、SFには人類共通の運命が投影されているのだ。この単一で分断された惑星において、中国の課題と地球の課題が交錯している。AIが人間に取って代わるかどうか、核拡散をどう抑えるか、貿易保護主義の影響、ポストヒューマンの動向、エコロジーや資源の危機、さらには宇宙文明との接触や宇宙全体の運命など、予見できない出来事や無視されてきた脅威、「ブラック・スワン」と「灰色のサイ」が地球全体で議論されている。これらの問題は世界中に広がり、しばしば終末的なムードをもたらす。SFは鮮やかな想像力によって、無垢なユートピアを確立してきた。それは、希望を失った人びとが、現実の中に逃げ場を見出す手助けになる。こうして、中国SFはグローバルな言語となった。「中国の問題を解決すれば、世界の問題が解決する」と言われているように。

 とどのつまり、中国がSFを海外に輸出するようになってから、わたしは文学の語り口にある種の変化がもたらされたのを目の当たりにした。第一に、過去ではなく未来について描くようになったこと。第二に、個人ではなく集団に注目するようになったこと。第三に、新しい手法ではなく、新しい物語への関心が高まっていることである。

 最後に、「SFの海外進出」というメタファーから、われわれは、三千年のあいだに前例のない変化が始まったばかりであることを悟る。アヘン戦争や八カ国同盟による中国北部への攻撃は、その前哨戦に過ぎなかったのだ。それが中国の爆発的な成長に具現化され、さらに中国と西欧諸国の競争の激化に反映され、それによって人類の科学技術や集団文明が臨界点まで進化してきたのだ。一九九〇年代生まれの作家、叶俊超の小説『灰烬』 Ashes の序文に記したように、中国SFはリアリズムとハイパーリアリズムという筆で、わたしたち自身が夢見るこの輝かしい未来を描いている。

 

追記:叶俊超『灰烬』について橋本輝幸さんにご指摘いただき修正しました。ありがとうございます!