機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

〈未来の文学〉未刊行の、唯一無二のマッドSF――ジョン・スラデック『ミュラーフォッカー効果』

 

 
 年一刊行のSFムック本『SFが読みたい!』(早川書房)には毎号、各出版社による次年度出版予定のSF作品の告知欄がある。本作も、二〇〇八年度版の国書刊行会からのお知らせ欄に、確かに他の第Ⅲ期のラインナップと並列されていた。そのはずなのだ。

 だが、結局刊行されることのないまま、〈未来の文学〉は終わりを告げた。

 

 なぜ出なかったのか? 〈未来の文学〉完結記念トークショーにて語られたところによると、「浅倉久志訳で準備→氏の逝去に伴い渡辺佐知江氏に訳者を切り替え→が、渡辺氏に別の訳書をお願いしているうちに有耶無耶に」という経緯であるようである。スラデックファンの一人としては悲しい事実だが、事実は事実なので受け止めるしかない。正直、渡辺訳スラデックが出ていれば、きっとSF史に残り得る名訳になっただろうから(『ゴーレム100』を見よ)、逃した魚は大きい理論かもしれないが、やはり惜しい。

 さてスラデックといえば、「たぶん天才だったのだが、才能の使い道をまったくわかっていなかった」作家(柳下毅一郎)であり、「クレイジースタージョン」「ルナティックのマグラア」と並んで「マッドのスラデック」として「奇想コレクション最狂御三家」の一角をなしていることはあまりにも有名(※)だが、本作はそんなスラデックによる長編第二作であり、彼は昔から「完成」されていたことが分かる一作である。

 人間の総体を磁気テープに記録できる技術が開発された世界。主人公は研究所内でのトラブル(過激派反黒人団体の襲撃に遭う)によって、自動爆破装置が起動、テープの中に閉じ込められてしまう。そのテープは数々の人の手に渡っていき、最終的にアトランダムな模様を自動生成する絵画機械の入力ソースとして用いられ、彼=テープから出力された絵画は、凡百のランダムなテープとは違う芸術として高く評価される。

 自分そっくりのアンドロイドを使い伝導を能率化する伝道師、コンピュータが生成するテキストを手直しするだけのテクニカルライターなど、スラデックお得意の人工知能と人間の知能の境界をゆさぶる奇妙な登場人物たちに加え、過激派反黒人団体や陰謀論的反共産主義者たち(¢の文字が鎌とハンマーに酷似している!と主張)など、これまたお得意の陰謀論や奇妙な論理、風刺などが詰め込まれたキャラクターが縦横無尽に筋を展開していく。最終的にはアメリカ中を巻き込んだ大暴動が勃発し、事態はカオスの一語でしか形容できない局面へと突入……。

 暗号マニアとして知られるスラデックだけあって、クライマックスの解決にも当然暗号が登場する。様々な暗号を解析し、出てきた一文を陰謀論的にピラミッド型に再形成、そしてそこからπ=p+iを消去すると、πとwashingtonが浮かび上がる……という、暗号でテトリスをやっているかのような、超絶暗号も魅力の一つ。たぶん、これがやりたくてストーリーを組んでると思う。まさに才能の無駄遣い

 

 
 さて、こうした奇妙な作品を受け止めてくれるのはおよそ〈未来の文学〉だけであっただろう。河出書房新社からスラデックの最高傑作と名高い『ロデリック』が数年前出たが、続編にして完結編である『ロデリック・アト・ランダム』については、結局出ずじまいだ。『ロデリック』の流れを汲み、よりブラック・ユーモア寄りに仕立てた"Tik-Tok"もまだ未邦訳のまま残っている。
 トークショーではその他にも多数の未刊行作品の構想について述べられたが、その中でもとりわけ惜しいと思う。『ロデリック』を読んでスラデックに興味を持たれた方は、ぜひ読んでほしい。

※カモガワSFシリーズKコレクション『稀刊 奇想マガジン 創刊号 奇想コレクション総解説』より引用

 

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 浅倉先生によるミュラーフォッカー効果紹介が載っています。おすすめ。

 

殊能将之先生もスラデックファンとして知られていて、読書日記には未訳長編の紹介が掲載されています。これもおすすめ。スラデックとギャディスの類似について指摘していたのは本当に凄いと思います。