機械仕掛けの鯨が

読んだ本の紹介など。書いてる人:鯨井久志

エロ漫画か?――ホセ・ドノソ『ロリア侯爵夫人の失踪』


 ――エロ漫画か?

 本書を読んで抱いた、評者の率直な感想だ。

 まず冒頭の挿話からしておかしい。舞台は一九二〇年代のスペイン・マドリードニカラグアの首都マナグアに生まれ、外交官の娘としてマドリードに住む主人公ブランカ・アリアスは、ロリア侯爵ことパキートと知り合うのだが、アリアス夫妻やパキートの母親のすぐ側でオペラ観劇をしながら二人はペッティング三昧。「もうしばらく情熱のデュエットを引き伸ばさないと……」などと言うてる場合か? 当然バレバレなのだが、周囲の気遣いもあって何とかやり過ごす。

 その後ふたりは結婚するも、パキートは己の性的不能に悩み酔いつぶれた挙句、ジフテリアに罹って死亡。ブランカは結婚後わずか五ヶ月で未亡人となってしまう。

 だが、ブランカの性的奔放は止まらない。財産管理の代理人で長年ロリア侯爵家を支え続けたドン・マメルトの事務所に突撃しては突然の性交、そして老いたるマメルトはそのまま腹上死。とんでもないスピード感で、新大陸から来た女・ブランカは歴史と伝統の街・マドリードを引っかきまわしていく。

 その後も、何とも浅薄そうな新進気鋭の画家と関係を持ったり、パキートの母親の愛人・アルマンサ伯爵と親戚のテレに仕組まれ無理やり複数人プレイを強要させられそうになったりともうやりたい放題。流石にドノソもいかんと思ったのか、中盤で突然、ドノソ作品における「暴力と破滅の運び手」こと犬のルナが登場する。
『境界なき土地』でも重要な役割を担った犬だが、本作でもこのルナの登場を機に、物語は軽薄なB級官能小説のパロディからゴシック小説的な不気味さへと舵を大きく切り始める。

 自らの分身のようなルナとともに、ブランカは多種多様な性交渉の経験を通して自らに秘められた新大陸由来の暴力性を開花させ、部屋を、そして豪華絢爛な侯爵夫人としての生活をも頽廃させていく。そして最後には、ルナに見つめられながら車内でお抱え運転手のマリオと性交渉を持ち、それを最後にブランカは「失踪」する。そして最終章では、ブランカが日常から逸脱する形で失踪したのと入れ替わるように、ルナが日常に順応した従順な飼い犬として顔を覗かせ――幻想小説的な謎を残したまま、本作は幕を閉じる。

 

 なぜこんな物語が生まれたのか? 

 正直、ドノソを読んだことのない人に初めて読ませたら、明らかに誤解を生じさせる作品だと思うのだが、当時のドノソは大作『別荘』を書き上げた後のプレッシャー、軽妙な作風で人気を博したプイグの台頭、バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』への対抗意識等々、色々と悩んでいたらしい。元々鬱々とした性格で、成功を収めた後でも周囲からの評価を気にし過ぎてしまう神経質なドノソが、息休め的に書き上げたのが本作だったようだ。

 しかしまあ、どう評価したらいいのだろう、この本。僕にはもう何も分からないし、当時の読者も同じ気持ちだったのではないか。

 

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 未読。あらすじからして滅茶苦茶なので絶対面白い。読みたい。